ほのぼの文庫

お月さん、とんでるね―点頭てんかんの娘と共に生きて (銀鈴叢書ライフデザイン・シリーズ) Book お月さん、とんでるね―点頭てんかんの娘と共に生きて (銀鈴叢書ライフデザイン・シリーズ)

著者:夏野 いづみ
販売元:銀の鈴社
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 娘との25年間の日々を綴った手記『お月さん、とんでるね 点頭てんかんの娘と共に生きて』 が、銀の鈴社より3月20日に刊行されました。

 点頭てんかんと診断され、入退院をくり返した乳幼児期、知的な障がいの受容、学齢期の地域の子ども達との心温まる交流、嵐のように過ぎた思春期、そして、25歳を迎えた今・・・ 。学齢期のインクルーシブ教育をはじめ、障害を抱えていても健常者と対等に当たり前に生活できるような社会~ノーマライゼーション~の実現を願って、渾身の思いで綴りました。

 各章冒頭に、自作の短歌を添えています。ご一読いただき、ご意見など賜れれば幸いに存じます。

 どうぞよろしくお願い致します。

2011年4月1日

夏野いづみ(書評者名・まざあぐうす)

書評の鉄人~列伝~第一回

書評の鉄人~列伝~第232回

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2012年4月 5日 (木)

『ゆきひらの話』(安房直子・文/田中清代・絵)(偕成社)

 「ゆきひら」とは、「土でつくられた、茶色いおなべのこと」
 在原業平の兄行平(ゆきひら)が、海女に海水を汲ませて塩を焼いた故事に因んで名づけられたと言われています。行平の名まえに因む由来と、その時用いた鍋に、白い塩が現れてきて、それが雪のようであったからという由来があり、漢字では、「行平鍋」とも「雪平鍋」とも表記されます。

 「ゆきひらをしっていますか」という一文で始まる物語。畑の中の小さな古い一軒家に住むおばあさんが、かぜをひいて、たった一人でねこんでいました。そこへ、コトコト、コトコトと音を立てて現れたおなべ。自ら、「ぼく、ゆきひらです。」と名のります。おばあさんが台所のとだなにしまい忘れた古いおなべでした。「行平君」とでも呼べそうな、実にかわいいおなべが絵本のページいっぱいに描かれています。

 安房直子さんの作品は、身の回りの小さな道具を使って起きる、小さな魔法に満ちています。おなべの「ゆきひら」にかけられた魔法から、おばあさんの夢の世界が広がり、また、かぜをひいたおばあさんを元気にする甘酸っぱい一品ができあがります。

 さて、「ゆきひら」は、おばあさんに何を作ってあげたのでしょうか?「おいしい」お話とレシピという「おまけ」がついています。一人ぼっちのおばあさんとおなべの「ゆきひら」がくり広げる物語、最終ページまでお楽しみください。読み終えて、心がじわっとあたたかくなり、「ゆきひら」を「雪平」とつづってみたくなりました。

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2012年3月20日 (火)

(シャロン・ドガー著・野沢佳織・訳)『隠れ家 アンネ・フランクと過ごした少年』(岩崎書店)

  世界中で読み継がれ、大ベストセラーとなっている『アンネの日記』。アンネ・フランクは自らの意志を日記の中で誰に臆することもなく綴ったことで、勇気ある少女として世界中の称賛を浴びました。その日記に登場するペーター・ファン・ペルスが、作家シャロン・ドガーによって、物語の主人公として蘇りました。
 ペーターは、アンネが恋に似た気持ちを抱きかけた少年です。アンネにとっては、日記を書き続けることや将来の夢という、恋よりも大切なものがありました。しかし、ペーターにとってアンネは死の際まで心を占めた存在…。

 ぼくはもう死んだけれど、耳をすませばきっと、きみにもぼくの声が聞こえるはずだ。

 きみはまだそこにいるのか?
 ぼくの話を聴いているのか?

 ペーターは、死の時を迎えてもなおアンネに語りかけています。『アンネの日記』では、登場人物の一人に過ぎなかった少年が、自らの叶わなかった恋やアンネへの複雑な思い、そして、ホロコーストの犠牲者となった心中を死の際まで語り続けます。
 
 物語は、ペーターが死の時を迎え、隠れ家での日々を回顧するプロローグにはじまり、アンネ・フランクの家族と共に潜伏生活を送った2年間を綴った第一部「隠れ家」、そして、ドイツ秘密警察に捕まり、アンネと離れ離れになった後の収容所での生活を綴った第二部「強制収容所」から構成されています。
 第一部では、ペーターの視点で『アンネの日記』を再読しているかのような感触を覚え、第二部では、ペーターの視点でフランクル博士の『夜と霧』を再読しているかのような感触を覚えました。『アンネの日記』の登場人物がそのまま立ち上がってくるようです。アンネによって語られたペーター像を損なうことなく、ペーター・ファン・ペルスをより人間味を持った少年として感じることができます。

 1947年の刊行以来、60年余りにわたり世界中で読まれてきた『アンネの日記』が、今、新たな形で蘇り、ナチス・ドイツのホロコーストの事実を語ります。ホロコーストは風化させてはならない歴史的事実の一つです。こうして、新たな少年の視点でホロコーストを語ることに意義を感じ、本書をヤングアダルト世代の少年少女達に必読の物語としてお薦めします。

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2012年3月17日 (土)

迫力のある「きたかぜとたいよう」の秀逸絵本

 久しぶりにイソップ物語のすてきな絵本に出会いました。
 既刊の絵本の中では、ブライアン・ワイルドスミスの絵による『きたかぜとたいよう』(らくだ出版)やバーナデット・ワッツの絵による『きたかぜとたいよう イソップ童話』(西村書店)を選んで子ども達に読み語りをしましたが、本書には、それらとは異なる魅力があります。その魅力とは、各ページに漲る勢い。各場面に登場する「きたかぜ」も「たいよう」も「たびびと」もそれぞれが絵本のページから飛び出してきそう。版木を彫って直に着彩する木彫画で描かれた、実に迫力のあるイラストです。

 紀元前600年頃の人物とされるイソップの物語は、様々な文化圏に広がり、地域や言語、人種の違いを超えて、全世界で愛読されています。幼い子ども達にもわかりやすいシンプルなストーリーと貴重な教訓が込められていることが魅力。日本では、16世紀の末にイエズス会の宣教師により『イソポのハブラス』として紹介され、明治時代に入って修身の教科書に取り入れらた位、古くから親しまれていますので、タイトルを言えば、すぐにそのストーリーが思い出されるのではないでしょうか。

 「きたかぜとたいよう」は読むたびに、反省を促され、何度読んでも、あたたかく心に響き、心に痛い物語です。ついつい、いつの間にか、「きたかぜ」のような考え方をしてしまいがち。家族における親子関係や夫婦関係、職場の上司と部下、教育現場での教師と生徒、友人関係など、幼い子どもから老人に至るまであらゆる年代にとっての教訓、人生訓となりうる物語ではないかと思います。

 本書は、蜂飼耳(詩人・小説家・エッセイスト)の再話により、岩崎書店から刊行されたシリーズイソップ絵本の最終巻です。『オオカミがきた』(ささめやゆき・絵)、『いなかのネズミとまちのネズミ』(今井彩乃・絵)、『ライオンとネズミ』(西村敏雄・絵)、『ウサギとカメ』(たしろちさと・絵)に続いて刊行されました。イソップの物語の中から5つの寓話を厳選し、新進気鋭の語り手と最先端のイラストレーターを起用した岩崎書店の企画を高く評価し、「きたかぜとたいよう」の新たな秀逸絵本として、本書をお薦めします。

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2012年3月 5日 (月)

児童図書相談士1級合格

 2012年2月18~20日、NPO法人絵本・児童文学​研究センターの児童図書相談士の試験を受けるために、5年ぶりに小樽を訪れました。小樽の街は、運河も凍り、深い雪に覆われていました。その深い雪の所々に、ろうそくが灯されていて、北国ならではの情緒を感じました。

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 お陰さまで、第11回「児童図書相談士」検定試験で、1級に無事合格することができ、一生の思い出に残る小樽への旅となりました。


 児童図書相談士とは…

「現代の複雑な社会において、子どもたちの心をいかにケアするかは大きな課題である。そのためのひとつの窓口として書籍文化はかかせない。しかし、現今の出版洪水の状況下では良書の選択そのものが困難である。そこで子どもの年齢や家庭環境をも考慮しつつ、良書選択のアドバイスが必要とされる。そのアドバイスの基準として企画されたのが「児童図書相談士」検定である。

 アドバイスと言っても単純なことではない。そのためには、書籍の知識のみならず、ある程度の発達心理学や深層心理学的観点、思考としての哲学性、さらに現在の国際化の状況を踏まえての「比較文化論」など、多様な観点を踏まえなければ現実的なアドバイスとはなりがたい。このような意味で数多くの読書相談士を養成することは現代の文化的課題として重要であり、急務の事業と考える。

 また、上記の意味においての「児童図書相談士」は、子どものみならず、青年期・成人期・熟年期・老年期の各世代においても重要な役割を期待される。それは現代の世代構成を鑑みれば、自ずと生涯学習の観点が要求されるからである。そのため、「児童図書相談士」は、児童文化と生涯学習との接点を、今後、新たに創設される学会(「児童文化と生涯学習」学会)において模索・研究する中核を担う存在として期待されるものである。」(以上、NPO法人絵本・児童文学研究センターの公式ホームページより引用しました)

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2011年10月24日 (月)

詩集『100かぞえたら さあ さがそ』~「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 タイトルとなっている「100かぞえたら さあ さがそ」は、耳のきこえない五人のこどもたちがかくれんぼをする時のことば。本書は、長年ろう学校で障害児教育に携わってきた作者が、聴覚障害のある子ども達と共に過ごす中で、感じたこと、気づいたことを子ども達の心になってうたった詩集です。

 耳が不自由な「ぼく」にことばを教え続けた母さん。ことばがなかなか覚えられないと、よくほっぺをぶたれた。そんな母さんが、「じょうはつしちゃんたんだよ」と父さんが言った。”じょうはつ”したら空気になる。「母さんの空気 すいたいな」と「ぼく」が言う。「母さんの 空気」という詩がぐっと胸に沁みて涙が止まりませんでした。

 「民主主義」や「同じ」ということばの手話の不思議、とうさんやかあさんと交わす手話のあたたかさ。
 生まれつき耳の不自由な子どもを持つ家族の気持ち、家族と離れてろう学校の寄宿舎にいるさびしさ。
 聴覚障害のある子ども達のことばの訓練。季節の草花や木々を感じる心…。
 詩のことばの行間に子どもたちへの深い慈しみの心が満ち、また、聴覚障害を抱えながら、せいいっぱい生きている子どもたちへの絶対的な信頼が感じられました。
 本書は聴覚障害のある子ども達をめぐる、楽しく、切ない詩集。詩のことばを通して聴覚障害への理解が深まれば作者の最も望むことでしょう。読者の一人として、本書が長い年月多くの読者に愛され、聴覚障害への理解が深まり広がることを心から願いつつ、「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性を感じています。

Book 100かぞえたらさあさがそ (草炎社こども文庫 5)

著者:新井 竹子
販売元:草炎社
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2011年10月21日 (金)

『はせがわくん きらいや』~障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 主人公の「はせがわくん」は、絵本の作者である長谷川集平氏のこと。
 「ぼくは、はせがわくんが、きらいです。はせがわくんといたら、おもしろくないです。なにしてもへたやし、かっこわるいです。はなたらすし、はあ、がたがたやし、てえとあしひょろひょろやし、めえどこむいとんかわからん。」
 作者は、病弱でひ弱だった幼い頃の自分のことを、友達の目線で切り離して語っています。
 「あの子は、赤ちゃんの時、ヒ素という毒のはいったミルクのんだの。それから、体こわしてしもたのよ。」と真実をありのままに語る母親、「はせがわくん泣かんときいな。わろうてみいな。もっと太りいな。」と心底願う友達、作者の故郷のことばが、リズミカルにあたたかい。中でも、「はせがわくん、きらいや」は独特の響き。そう言われるたびに、「はせがわくん」が生き生きと立ち上がって来る。「はせがわくん、きらいや」ということばが写し出す作者の人間としての尊厳と、その思いを反転するかのような友情、「あの子と仲ようしてやってね。」という母親の願いと負けず劣らず真に迫ることば。森永ヒ素ミルクの被害の真実やその家族、とくに母親の心情、被害児童を取り巻く子ども達、悲惨な真実が独特の手法と語りであっけらかんと明かされる。
 墨で書きなぐったような手書きの素朴な文字、デフォルメされた子ども達…。
 美しく整った絵本という概念を破って描かれた(書かれた)画期的な絵本として、1976年に出版された当時、「創作絵本新人賞・優秀賞」を受賞しています。しばらく絶版の時を経て、多くの人々の要望で復刊されました。1976年すばる書房初版の復刊です。その独特の手法と語りは、今もなお、斬新さを保ち、読者の心に迫る。
 森永ヒ素ミルクの被害という社会的関心の薄いテーマの児童文学作品が多くの読者の関心と強い要望を得て復刊されたことに作者の並々ならぬ力量を感じると同時に、障がいをテーマとした児童文学作品にも様々な可能性があるのではないかという思いを強くしました。障がいをテーマとした良書が次から次へと絶版となってしまう現実に打ちひしがれることなく、新たな可能性を追求した作品の誕生を待ち望みたい、そんな希望を抱かせてくれた一冊です。

はせがわくんきらいや Book はせがわくんきらいや

著者:長谷川 集平
販売元:ブッキング
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2011年10月21日、オンライン書店ビーケーワンの今週のオススメ書評に選ばれました。

書籍タイトル:はせがわくんきらいや
書評タイトル:障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性
URL:http://www.bk1.jp/review/494819

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2011年10月10日 (月)

だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。

  本書は「ヒルベルって、ほんとうに悪い子だよ。」というホーム(施設)の子ども達のことばで始まり、「あの子は、その後どうなったのかしら」とヒルベルを回想するマイヤー先生のことばで終わる物語。決して、ハッピーエンドではありません。
 主人公のヒルベルというのはあだ名で、本当の名まえはカルロットー。ドイツ語でヒルンは脳とか知能を、ヴィルベルは渦とか混乱を意味します。あだ名の通り、ヒルベルは脳に障がいを抱えていました。出産の時の外傷のために、原因不明の頭痛や発作を起こし、ことばもうまく話せません。父親は不明で、母親にも見捨てられて、町はずれにある施設に収容されている10歳の少年。
 施設から脱走したり、施設の管理人を困らせたり…、夜は裸のまま洋だんすの中に入って出て来なかったり…。手に負えないので、施設の中で「処置なし」とされています。そんなヒルベルをあたたかく見守ってくれる保母のマイヤー先生や親切なドクター、ヒルベルのために心理テストを施してくれる心理学者もいますが、ヒルベルはあくまでもヒルベルのまま変わりません。

 私は何度もこの物語を読みました。読むたびに作者であるヘルトリングの真摯な思いが心に迫ってきます。主人公のヒルベルも、物語も決してハッピーではないのに、なぜ、くり返し読むのか? それは、読み重ねるたびに、ヒルベルのような子どもの存在を知ってほしいというヘルトリングの強い願いが感じられるからです。また、その願いは、知的な障がいを抱えた娘の母親である私自身の願いとも重なり、私の切なる心の叫びを代弁してくれるかのように感じられるからかもしれません。

 ヒルベルの仕出かした特異な行動も、美しい声で讃美歌を歌う様子も、羊をライオンと信じて疑わず、羊の群れで一夜を明かすあり様も、ヘルトリングは淡々と語ります。ヒルベルの病名や障害名については一切語っていませんが、ヒルベルという子の長所も短所も鮮やかに浮き彫りにされています。また、ヒルベルをめぐる人々の反応もヒルベルの表情も目に浮かぶようです。
 社会から切り捨てられたヒルベルのような存在を知らないまま大人になっていく子どもたちがほとんどです。ヘルトリングは子ども達を信頼して、どうか、ヒルベルのような子どもを知ってほしいと願っています。物語の行間に、読者となるであろう子どもたちへの信頼が感じられます。それと同時に、ヒルベルという子に対する不動の信頼が感じられました。ヒルベルには、ヒルベルなりの知恵があり、ヒルベルなりにしっかり生きているのだと。ヒルベルへの同情や憐みは微塵も感じられません。<だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。>というヘルトリングの声が心の芯まで響く物語です。
 原作は1973年に刊行されていますが、少しも古びない物語です。翻訳者である上田真而子氏の美しくリズミカルな日本語訳も見逃せません。文庫版のしおり『「ヒルベルという子がいた」を読んで感じたこと』という河合準雄氏の16ページに及ぶ感想も圧巻です。本書の物語のより深い理解を促してくれます。

ヒルベルという子がいた (偕成社文庫) Book ヒルベルという子がいた (偕成社文庫)

著者:ペーター ヘルトリング
販売元:偕成社
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2011年10月 9日 (日)

『わたしたちのトビアス』(偕成社)~ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本

 スベドベリ―家に五番目に生まれた男の子トビアスは、ダウン症という障がいを抱えていました。ダウン症は染色体の数が通常よりひとつ多いことにより起こります。両親はトビアスがダウン症であることをを子どもたちに語り、トビアスのような子どもたちのための特別な施設にトビアスをあずけることを相談しました。すると、子どもたちは、大反対。
 弟であるトビアスの障がいを知らされたきょうだいたちは、「トビアスに手がかかるなら、わたしたちみんなで、てつだうのがあたりまえでしょう」と言い、それぞれが障がいについて考えるようになりました。そして、「ふつうでない弟がいてよかった」と思います。なぜなら、「ふつうでないとはどういうことかが、わかるようになるからです。」と。
 この絵本はスウェーデンという社会福祉の進んだ国で作られました。ノーマライゼーション、つまり、障がいを抱えた人もそうでない人も社会の中で対等に生きていくのが当たり前という考え方が1960年代頃から国家の政策の中に導入されているからでしょうか。トビアスのきょうだい達は、弟であるトビアスの障がいを当然のことのように前向きに受け止めています。
 もし、あなたの家に生まれた赤ちゃんがダウン症という障がいを抱えていたら、どのようにその事実を受け止めるでしょうか? 自分や家族の障がいの受容は、私たち人間にとって永遠のテーマかもしれません。日本では、ダウン症という障がいがあることすら知らない人も少なくないでしょう。
 「みんな、いっしょにくらさないから、おたがいに、わかりあったり、すきになったりできないんだわ。」
 きょうだい達のことばに深く共感します。小さい頃から、障がいを抱えた子ども達とそうでない子どもたちがいっしょに暮らし、遊び、学び合うことができれば、その後の人生で障がいを抱えた人に出会った時に自然と理解を示すことができるのではないでしょうか。
 本書の絵はトビアスのきょうだい達が、そして、文章はお母さんが書きました。トビアスの障がいを前向きにとらえた明るく愛に満ちた絵本です。続編に『わたしたちのトビアス学校へ行く』、『わたしたちのトビアス大きくなる』があり、トビアスのその後の成長が語られています。続編も含めて、ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本です。

わたしたちのトビアス Book わたしたちのトビアス

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本) Book わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本)

著者:ボー スベドベリ,トビアスの兄姉たち
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

わたしたちのトビアス大きくなる Book わたしたちのトビアス大きくなる

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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2011年9月18日 (日)

絵本『わたし いややねん』@西本クリニック緑(横浜市緑区長津田町)

  現在、児童書の中から、意図的に障害をテーマとした作品を選んで読んでいます。

 国際連合が指定した国際障害者年である1981年の前後に、障害をテーマとした児童書が数多く出版されましたが、既に絶版となっていたり、図書館の書庫に納められている作品が多いことに気づかされました。

 実社会でも、障害、特に知的な障害への関心が薄いという現実があります。そんな現実に悲しみを覚え、障害をテーマとした児童書の良書に出会ったら、レビューを書くことを心がけています。

 ほのぼの文庫にアップしたレビューはこちらです。

 2011年9月13日、車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける絵本として(吉村敬子著・松下香住絵)『わたし いややねん』(偕成社)を紹介しましたら、医療法人 社団研幸会の理事長である西本研一医師が、早速、絵本を購入してくださり、西本クリニック緑の診療室に置いて下さいました。

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 書いたレビューに反応をいただけると、本当にうれしいものです。

 西本医師は、スピーディかつ良質な医療の提供をモットーとして地域に根差した医療に取り組んでいます。クリニックを訪れた患者さん方の目に触れ、手に取って読んでいただけることを願っています。西本先生、ありがとうございました。

 医療法人 社団研幸会の公式ホームページは、http://www.nishimoto.or.jp/ です。

追記 西本クリニック緑では、月に一度、クリニック内のけんこう道場で和みのヨーガが開催されています。2011年3月26日に、震災チャリティー 『和みヨーガ』が開催された時には、私もインストラクターとして参加させていただきました。こちらです。

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2011年9月16日 (金)

「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか

からだが よわくても、ちえが おくれていても、
どんな 子どもでも、みんな おなじ人間。
うつくしい 心をもった人間や。
そして、ぼくの
ともだちや。
だから、ぼく
わるくちをいう ともだちを、
「かわいそうやなあ。」と おもっているんや。

みんなみんなぼくのともだち Book みんなみんなぼくのともだち

著者:福井 義人
販売元:偕成社
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 深い慈しみに満ちたこの詞の作者は福井義人君。小学校三年生の時に書きました。義人君は、知能に重い障害を持つ子ども達の施設「止揚学園」で生まれ、学園の子ども達と共に育ちました。学園の創立者である福井達雨氏の長男です。
 1980年に出版された本書は、精神年齢推定六か月くらいの園児たちの絵と義人君が小学校三年生のときに書いた日記を組み合わせて作られました。絵本を開くと、学園の子ども達の素朴で力強いイラストにほっとします。そして、義人君の目を通して見た学園の子ども達の精一杯の生きざまに心打たれます。
 本書の背景には厳しい障害者差別があります。周囲の大人たちが「アホと遊ぶとアホになる」「悪いことをしたり、勉強ができなかったら止揚学園に入れるぞ」と教えたり、おどしたりしていた時代です。義人君が、算数で5点をとったとき、学校の友達から「おまえは止揚学園で生まれたからアホや、赤ちゃんのオミソ(脳みそ)や」とからかわれます。小学校で友達が遊んでくれず、一人ぼっちになった義人君はとうとう登校拒否をするようになりました。
 そんな理不尽な偏見に対して、義人君は「あたまはよわいけど、やさしい心をもっている子どもたちやで」と心の底から訴えています。義人君は決して、障害児を美化することなく、ひとりひとりの命の輝きを真っ直ぐに捉えています。傷つきながら育った義人君の深い洞察力に頭が下がります。
 あとがきの「義人の悲しみとは…」で父親である福井達雨氏が、「…その心を育ててくれたのは、止揚学園の重い知恵おくれの子どもであったのだ」と述べています。学校の先生方に、ぜひ、読んでいただきたい。健常な人間の持つ傲慢さに気づかされ、教育の原点に立ち返ることができるのではないでしょうか。日本の社会は知的な障害児・者への関心が薄く、未だに、その理解が進んでいません。社会から隔離されなくては生きていけない重い知恵おくれの子ども達の存在を忘れてはならないと思います。ぜひ、ご家庭で、お子さんと一緒に読んでいただきたい。
 義人君のように「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか。大胆な絵と洞察力に満ちたことばと、本書には時の流れを経ても古びない魅力があります。本書が読者に愛され、長く読み継がれていくことを願ってやみません。止揚学園の子ども達による『ボスがきた』、『みなみの島へいったんや』とあわせて、お薦めします。

(以上、ほのぼの文庫管理人まざあぐうすが、オンライン書店ビーケーワンに投稿した書評です。)

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«車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい