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2009年2月

2009年2月21日 (土)

愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論  (福永武彦著)『愛の試み』(新潮文庫)

 2月初旬から読み始めた同著をようやく読み終えました。何度もくり返し、じっくりと読みました。2月に入ってからの読了本の数は少ないのですが、その質は濃いものだと思っています。児童書ではケイト・デ・カミロの作品を数冊、音楽関係では徳永英明さんの『半透明』、そして、同著です。偶然ですが、テーマはいずれも愛と孤独。ケイト・デ・カミロの作品のレビューも今月中に書きたいと思っています。

 「家守綺譚の植物アルバム」も閲覧いただきうれしく思っています。どうぞこれからもよろしくお願い致します。

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 『愛の試み』は福永武彦氏(小説家・詩人)が説く恋愛論。
 「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」
 冒頭に雅歌の第三章を引用して、人間の持つ根源的な孤独の状態を簡潔に表現していると説き、この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」―そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがあると説く。

 スタンダールの恋愛論の結晶作用と融晶作用、愛につきもののエゴ、嫉妬、憐憫、自己犠牲、愛と理解の違い、愛することと愛されることの隔たりや人間の愛の限界について語りつつ、恋愛と孤独を対立させることなく相補的に説きつつ、その論が観念的に終始しないように「釣のあと」「花火」「細い肩」「女優」「盲点」「音楽会」「雪の浅間」「歳月」「砂浜にて」と題する9つの掌編を関連する章の後に挿入している。

 著者の恋愛論の実践編とも思える9つの掌編は文学性も高く、著者の論の理解を促す作品であった。いずれも一筋縄ではいかない男女の心の機微が巧みに描き出されている。現実の恋愛も孤独も不完全であることを認めた上で展開される著者の恋愛論には説得力が感じられた。本書は薄っぺらな恋愛の指南書ではない。

 「自己の孤独を恐れるあまり、愛がこの孤独をなだめ、酔わせ、遂にはそれを殺してしまうように錯覚する。しかし、どんなに燃え上がろうとも、彼が死ぬ以外に、自己の孤独を殺す方法はない。」と説く著者の言葉に愛することをひるむ読者もいるであろう。しかし、人間が根源的に孤独な存在であるとすれば、愛することを試みた以上、苦しみから逃れることは出来ないのではないだろうか。著者の言葉に愛することへの覚悟を促された。脆弱な孤独から豊かな愛は育たないのだ。

 「愛は持続すべきものである。それは火花のように燃え上がり冷たい燠となって死んだ愛に較べれば、詩的な美しさに於て劣るかもしれぬ。しかし節度のある持続は、実は急速な燃焼よりも遥かに美しいのだ。それが人生の智慧といったものなのだ。しかも時間、この恐るべき悪魔は、最も清純な、最も熱烈な愛をも、いつしか次第に蝕んで行くだろう。従って熱狂と理智とを、愛と孤独とを、少しも衰えさせずに長い間保って行くことには、非常な努力が要るだろう。常に酔いながら尚醒めていること、夢中でありながら理性を喪わないこと、イデアの世界に飛翔しながら地上を見詰めていること、―愛における試みとはそうしたものである。その試みは決してた易くはないが、愛はそれを要求する。」
 新約聖書のコリント人への手紙Ⅰの十三章(愛の章)を彷彿させる著者の言葉にその恋愛観が凝縮されているように思えた。愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論の名著として蔵書にしたい一冊。

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2009年2月16日 (月)

『家守綺譚』の植物アルバム再掲載のお知らせ

 梨木香歩著『家守綺譚』の物語の世界をより深く味わうために「家守綺譚の植物アルバム」を再度作成中です。

 以前の「ほのぼの文庫」でも毎日かなりの方がアルバムを閲覧されていました。訪れてくださった皆様やブログにリンクしてくださった皆様のことを思い、続いて、「からくりからくさ」や「西の魔女が死んだ」の植物アルバムも復活したいと思っています。

 梨木香歩さんの作品は何度読んでも味わい深く、面白いです。梨木香歩作品がお好きな皆さん、どうぞご覧になってお役立てくださいませ。以前とブログのURLが変わっていますので、リンクしてくださっている皆様、ご変更のほど、よろしくお願い申し上げます。

http://mothergoose-0510jp.cocolog-nifty.com/photos/nashikikahoshokubutsu/

 

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2009年2月13日 (金)

<ほのぼの文庫> 再開のお知らせ

 2004年10月13日に児童書のレビューを発信するブログとして「ほのぼの文庫」を立ち上げましたが、諸事情のため2008年9月末に閉じました。ブログ開設期間中、たくさんの皆様に訪れていただき、あたたかいコメントをいただき、ありがとうございました。

 このたび新たな気持ちでブログを再開することにしました。一度削除してしまった記事を再入力するのは大変なことですが、自分にとって本当に大切なものを再確認する作業になっています。

 これからも児童書の良書を見い出し、読み継いでゆくために、細々と児童書のレビューを書き続けていきたいと思っていますので、どうぞ末永くよろしくお願い致します。

             2009年1月24日                    まざあぐうす

 書評の鉄人~列伝~第一回 

Photo          

追記 2009年4月23日

 プロフィールの万華鏡の写真は、「着せ替え万華鏡のお店 ☆かぷり~す☆」 の優和さんに作っていただきました。あなただけの世界にひとつの万華鏡を作ってもらうことができます。2年前、桜貝を入れた世界にたったひとつの万華鏡を作っていただきました。事あるごとに心が和む宝物のひとつです。           

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思い出の絵本 No. 9 久しぶりの読み聞かせ  『100万回生きたねこ』  

 大学受験真っ最中の息子が、昼ごはんを終えたとき、『100万回生きたねこ』ってどんな絵本だったけ?!と言うので、書棚から持ってきて、久しぶりに読み聞かせをしました。最後に読み聞かせをしたのが、中二のときでしたから、4年ぶりです。

 どうやら、百合(小説or漫画)に引用されていたから思い出したようですが、何はともあれ18歳の息子に読み聞かせを再びできたことで幸せな気分に浸っています。

 『100万回生きたねこ』は大人にも、子どもにも愛されるすばらしい絵本だと思います。

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2009年2月 9日 (月)

信頼できる絵本のリスト、ガイドブックとしてお薦めの一冊!

 本書の監修者である生田美秋氏の巻頭言「絵本と上手につきあうために」の冒頭で「身近な大人が責任を持ってよい絵本を選びましょう!」と提言しています。

 本書は、1年間の行事や季節の出来事にふさわしい絵本100冊を厳選して紹介しています。「今月の絵本カレンダー」を基本に、各月に「今月のお誕生日絵本」、「おやすみ前に読む絵本」、「今月のテーマ絵本」のコーナーがあり、また、赤ちゃん、幼児、小学生と発達段階に応じた12か月の定番絵本を紹介する記事が収録されています。お正月、節分、入園式、夏休み、クリスマスなどの定例行事の他に、靴の記念日や鉛筆の日、即席ラーメンの日などの思いがけない記念日とそれにちなんだ絵本が紹介されていて、大人である私たちにも絵本を選ぶ楽しみを与えてくれます。
 紹介されている絵本は、古くから読み親しまれている『いないいないばあ』『わたしのワンピース』から、最新刊の良書である『ちょうちょうひらひら』『としょかんライオン』にまで及びます。

 さて、あなたは、どのような基準で絵本を選びますか?
 生田氏は「よい絵本とは、絵と文の関係、絵と物語の質、めくりの効果と場面の展開、絵と文の相性などから総合的に評価選定されるべきものです。」と自らの絵本の選定基準を述べています。

 大人が責任を持ってよい絵本を選ぶために信頼できる絵本のリスト、ガイドブックとしてお薦めの一冊です。別冊太陽の『心をつなぐ読みきかせ絵本』『続・心をつなぐ読みきかせ絵本』も併せて、お薦めします。

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2009年2月 7日 (土)

台湾の作家ジミーさんの描く場所〜光と影が交錯する中で、人の孤独が美しく描かれている  『君のいる場所』

郊外の古いアパートの隣に住んでいる彼女と彼
 彼女は、どこへ行くにも左へ曲がる癖がある
 彼は、どこへ行くにも右へ曲がる癖がある
 隣に住んでいる彼女と彼が会うことはなかった

 彼女は、悲しい小説を翻訳している
 彼女は、ときに、世界は悲しみにあふれた場所だと感じる
 彼は、ヴァイオリンを弾く
 彼は、ときどき自分がからっぽで無力だと感じる

 ふたつの平行線が天使の力で交わった
 公園の噴水の前で出会った彼女と彼
 胸躍る午後を過ごしたふたり
 大粒の雨の中、電話番号のメモを交わして別れた

 雨ににじんで見えなくなった文字
 左に曲がる彼女と右に曲がる彼と
 隣に住んでいても
 ふたりは会えない

 壁のない牢獄のような都会
 疲れと閉塞感の中で
 つかの間の思い出がきらめいている
 彼女と彼が確かにいた場所

 ふたりで過ごした午後の思い出とともに
 季節が巡る
 季節の中で揺れ動く彼女と彼の心
 人を想って揺らぐ心は、切なく悲しく美しい

 光と影の交錯する中で
 人の孤独が
 美しく描かれている
 台湾の作家ジミーさんの描く美しい場所

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悲喜こもごもの思い出の一瞬をとらえた詩情あふれるメモリー集、人生に対する深い洞察が切なく、美しい絵本  『メモリーズ』

 台北の絵本作家ジミーさんが、描いた60枚の絵のメモリー集。

 おとなになる前に許されるつかの間の無邪気を描いた「天より高く」
 美しい浜辺でのままならない人生の始まりを描いた「小さな始まり」
 先生に言えなかったひと言を描いた「秘密」
 雲の言葉はわからなくても見ているだけで楽しくなれたあのころを描いた「耳をすませば」などの絵がおさめられている。

 あとがきに「写真を撮る前後の面白さを捉えようとしたもの」「「作品を描くこと」そのものが過去を思い出すヒントとなった」と書かれている。
 悲しみには、ユーモアが、楽しさの中には滑稽さが、悲喜こもごもの思い出が、美しく描かれている。ジミーさんの絵もすばらしいが、絵に添えられている詩情あふれる言葉に、人生に対する深い洞察が込められている。
 写真では、とらえられない思い出の「一瞬」に満ちている。私も、私だけの思い出の一瞬をとらえてみたい。

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人間の根源的な孤独が、美しいイラストと洞察に満ちた言葉で描かれている絵本 月とで出会った孤独な少年の物語  『君といたとき、いないとき』

 夜の町は人工の照明にあふれています。夜の闇を照らす月は、孤独なのかもしれません。昼を照らす太陽は、植物の光合成、温度の確保のために科学文明が発達した現在も人間から実質的に必要とされています。夜を照らす月は、どうでしょうか。
 月は美しい。月は、昔も今もその美しさゆえに人の心を照らしているのかもしれません。もし、その月が姿を消したとしたら…どうなるでしょうか。

 孤独な月が、孤独な少年のもとにやってきました。偶然のようで、必然の出会い。人工の月があふれる町で、本物の月と出会い、孤独な少年の心は癒されてゆきます。月とともに過ごした記憶は、時の流れの中で、少年の成長とともにどのように変容してゆくのでしょうか。
 月は僕だけの月だったはずなのに、空に帰った月は、世界中のみんなを照らしています。「ひとりじゃないよ」と教えてくれた月のそばに行きたいと思うのが人情でしょう。「ひとりじゃないよ」と教えてくれたのが、もし、人間の誰かだったら、少年の孤独は、もっと違った形で癒されていたのかもしれません。

 『君といたとき、いないとき』は、人間の根源的な孤独が、美しいイラストと洞察に満ちた言葉で描かれている絵本です。見えなくても存在する、記憶が薄れても確かに存在する大切なものが、この世の中には存在することを教えてくれます。

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人間の孤独、運命、そして、本当の人間のやさしさとは何かを考えさせられる絵本 『ほほえむ魚』

 ぼくは、ぼくだけにほほえむ魚に出会った。魚は、いつもぼくを待っていた。じっと見つめるぼくだけのまなざしを。ぼくは、ぼくだけにほほえむ魚を小さな水槽に入れて、家につれ帰った。「犬のように忠実で、猫みたいに心がかよい、恋人のように愛しい魚」とぼくの生活が始まった。

 眠ったはずの魚は、水槽ごと緑色に輝きながら、空中を漂ってゆく。ぼくは、あわてて追いかける。魚のあとを追って、真夜中の通りをさまようぼく、幼い頃踊ったダンスのステップを思い出したぼく、木立の中でかくれんぼをするぼく、朝露でズボンが濡れるまで草むらを歩くぼく、緑色に輝く魚といっしょに大海原を仲良く泳ぐぼく…。大海原を自由自在に泳ぎ回って、ぼくは、はっと気がついた。「ぼくも大きな水槽に囚われたちいさな魚だったんだ」と。
 めざめたぼくとほほえむ魚のその後は…。

 『ほほえむ魚』は、「犬のように忠実で、猫みたいに心がかよい、恋人のように愛しい魚」とぼくの不思議な物語です。人間の孤独と運命を幻想的で美しい絵とユーモラスな語りで綴った物語、自分の孤独と運命から目をそらさずに向き合った作者だからこそ綴れる物語ではないでしょうか。人間の孤独、運命、そして、本当の人間のやさしさとは何かを考えさせられます

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台湾の絵本作家ジミー・リャオが贈る癒しと勇気のメッセージ集  『君をみつめてる』

『君をみつめてる』は、台湾の絵本作家ジミー・リャオの60篇の詞と絵が収められたメッセージ集。猫や小鳥、うさぎや熊など動物と人間が関わる姿が、それぞれの言葉と対をなすように描かれていて、60篇の寓話を読むように愉しむことができます。

最低の絶望のなかにいるあなた、夢と現実のあいだをさまよっているあなた、そして、不条理を抱えているあなた、最初の一歩をどう踏みだせばいいのかわからないあなた、そんなあなたの心に沁みるメッセージ。
希望の井戸
リンゴの木の下で
相対論
偏屈…など

台湾の絵本作家ジミー・リャオが贈る癒しと勇気のメッセージ集。ジミーの言葉は、美しく清らかな一輪の花をあなたの心に届けてくれるでしょう。そして、あなたにしかできないこと、あなただけの幸せがあることをさり気なく教えてくれるでしょう。

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荒井良二さんの絵本の世界 

 荒井良二さんの絵本には不思議な時間が流れています。そして、不思議な、魅力的な主人公が存在します。

 荒井良二さんの絵本の世界は、子どもよりもっと子どもっぽいけれどスゴイ絵、そして、愛に満ちたユニークな言葉・・・。

 あなたも、不思議な猫チマチマやハスカップ、魅力的なはっぴぃさん、不思議なキュートナに会いに行きませんか。

 私のお薦めは、『バスにのって』『モンテロッソのピンクの壁』『はっぴぃさん『ぼくとチマチマ』『いつか、ずっと昔』

 荒井良二さんの公式サイトは、こちらです。

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2009年2月 6日 (金)

こんな宿題があったらいいな!  『しゅくだい』

  動物たちの学校である日、やぎのめえこ先生が宿題を出しました。
 すると、みんなはいっせいに「えー」「うそー」「ほんとう?」と大騒ぎ。みんなの前では「やだ~」と言っていたもぐらのもぐ君ですが、急いでお家に帰りました。そして、おばあさんとおとうさんとおかあさんと一緒に宿題をしました。いっぱい宿題をしたもぐ君は、その夜、ぐっすり眠りました。

 「え~っ」と大騒ぎしていた子どもたちですが、次の日、みんなとても元気な顔で登校してきました。「しゅくだいをやってきましたか?」というめえこ先生に「はーい」と大きな声で返事をしました。もぐ君もみんなに負けない位、大きな声で返事をしました。

 こんな宿題あったらいいなぁ。
 何度でもいいなぁ。
 こんな宿題を出してもらえたら、大人も子どもも心がぽかぽか。

 さて、めえこ先生が出した宿題とは・・・。

 めえこ先生が出した宿題は子ども達だけでなく大人の心もぐっとつかみます。読み終えたとき、心があたたかくなりました。そして、人間の関わりの中で大切なこととは何かに気付かされました。描かれた動物たちの笑顔が何とも言えずかわいらしくて、心癒されます。あなたも、いもとようこさんのほのぼのとした絵の世界の中で、お子さんとともに、幸せな気分に浸ってみませんか。

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春が待ち遠しいあなたにお薦めの絵本  『くもりガラスのむこうには』

  この絵本の主人公のみこちゃんには、くもりガラスを見ると、ひとさし指で、くいくいくいとふいてじっと見つめるくせがあります。それは、三月の雪が降る日に学校を休んだときについたくせです。

 一人でおるすばんしていたみこちゃんは、つまんないなと思って湯気で曇っている窓ガラスをひとさし指の先で、くいくいくいとこすったのです。すると、うっすらと積もった雪景色が見えてきました。そして、「さむいよう、おねえちゃん」「ね。ね。げんきだしてね」という泣きそうな子どもたちの声が聴こえてきました。みこちゃんは、「うちに入って。あったかいよ」と行って、窓をあけて二人を招きいれました。

 そのお客さんたちのかわいいことと言ったら、この世のものとは思えません。色鉛筆を用いた独特の繊細な絵柄で知られる黒井健さんが描く雪景色とかわいい女の子たちに思わず見入ってしまいました。みこちゃんのお部屋の中までがメルヘンの世界のようです。
 
 そして、二人の女の子たちも、みこちゃんがさっきしていてみたいに、湯気で曇った窓ガラスをひとさしゆびのさきで、くいくいとふきだしたのです。さて、くもりガラスのむこうにはどんな世界が広がっていったのでしょうか。それは、みこちゃんがくもりガラスを見るたびに、くいくいくいとふいて、じっと見つめるくせがついてしまうほど美しい世界でした。そして、二人の不思議なお客さんたちはどこに帰っていったのでしょうか。

 絵本の作者は、『車のいろは空のいろ』で、日本児童文学者協会新人賞を受賞後、数々の児童文学作品を生み出しているあまんきみこさん、そのやさしい語り口に読者は、いつの間にかファンタジーの世界に誘われていきます。ほんわかとあたたかく明るい世界にいつまでも留まりたくなるのは私だけでしょうか。黒井健さんのイラストが、その世界をさらに美しく居心地の良いものにしています。

 幼い子どもたちにとって、おるすばんは、寂しく、つまらない時間でもありますが、一人で過ごす時間は想像力を培うための貴重な時間でもあるのでしょう。こんなおるすばんだったら、私もしてみたいな。この絵本は、一ページ一ページゆっくり開いていきましょう。そして、ゆっくりその世界に浸りましょう。春が待ち遠しい季節の読みきかせにお薦めの一冊です。

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2009年2月 5日 (木)

バーキスという一匹の犬を通して姉と弟が心を交し合う暖かい物語 『こいぬのバーキス』

  翻訳者の劉優貴子氏は、クレア・ターレー・ニューベリーの復刻を記念した出版フェアが開かれているボストンのお気に入りの書店でこいぬのバーキスと出会いました。
 劉氏は「こねこのミトン」に続き、ニューベリーの本を日本の子どもたちのために翻訳しました。1938年に出版された本ですが、今の子どもたちの心に通う暖かいまなざしを感じる一冊です。

 弟のジェームズの9歳の誕生日におじさんから贈られたコッカスパニエルのバーキス、ジェームスは、バーキスを独り占めしようとして姉のネル・ジーンと大喧嘩をします。その原因は姉のネル・ジーンにもありました。ネル・ジーンの飼っているこねこのエドワードをネル・ジーンが独り占めしていたからです。
 ところがある日、ジェームズがちょっと目を離したすきにバーキスが外に出て、川に落ちてしまいます。その一部始終をみていたネル・ジーンが、見かねてバーキスを助け出します。命拾いをしたバーキスを通して、姉と弟がこいぬのバーキスとこねこのエドワードを通して、心を交し合うことになりました。どんな心の交し合いがなされたかは、この絵本を読んでのお楽しみです。
 この絵本に描かれたイラストに、こねこやこいぬを、そして姉と弟を見つめるニューベリーの優しいまなざしが感じられるほっとする一冊です。

 わが家でもスピッツとシャムネコを飼っていた時期がありましたが、いつの間にか仲良くなっていました。シャムネコがいなくなって、必死で探していたら、スピッツの白ちゃんの犬小屋のなかで白ちゃんに包まれるようにお昼ねをしていました。

 こいぬのバーキスとこねこのエドワードもきっと仲良しになってゆくことでしょう。犬や猫が大好きな方には、たまらなくかわいいイラストだと思います。夜、おやすみなさいを言う前に読むと素敵な夢をみることができそうな一冊です。

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猫好きのあなたへ 世界にたった一匹だけのねこ、ミトンだけが僕のねこ  『こねこのミトン』

 作者のクレア・ターレー・ニューベリーは猫が大好きでした。幼い頃から絵を描き続け、6歳にして画家になることを決意したそうです。アメリカやフランスで絵を学びました。
 とりわけ猫の絵にこだわって描き続け、出来上がったのが「こねこのミトン」です。5歳のリチャードが猫がどうしても欲しくて買ったこねこは、手袋のような手をしていましたので、ミトンと名づけられました。
 ところが、ある日、いなくなってしまいます。
 新聞に載せたり、家族中で探しますが、見つかりません。いろんな人が、この猫ではありませんか?と次々に猫を連れてきますが、どれもミトンではありません。また、この猫を代わりに飼いませんか?と連れて来る人もいました。しかし、リチャードにとって、猫は世界にたった一匹、どうしてもミトンでなくてはならなかったのです。

 わが家にもシャムネコがいました。二度いなくなりました。一度目は、飼い犬のスピッツの白ちゃんの犬小屋で白ちゃんにくるまれるようにお昼ねをしていました。2度目は、春の恋の季節に遠くに行ってしまい2週間ほど姿を見ることができませんでした。やはり必死で探しました。見つかった時の喜びは、それはそれはうれしいものでした。やはり私にとって、世界にたった一匹の猫だったからです。

 ミトンは見つかりました。そのエピソードは、この絵本を読んでのお楽しみです。絵本の中には、ミトンをはじめ、たくさんの猫が描かれていますが、どの猫も毛並みから表情、仕草…繊細に描かれていて、猫好きな方にはたまらなく可愛いイラストです。ニューベリーの描く猫をたっぷり可愛がってあげて下さい。

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うさぎ好きのあなた、猫好きのあなたへお薦めの絵本  『うさぎのマシュマロ』

 翻訳者の劉優貴子さんは、ボストンのお気に入りの書店で、こねこのミトン、こいぬのバーキス、そして、うさぎのマシュマロと出会います。1930年代後半から1940年代にかけて出版されたクレア・ターレ・ニューベリーの絵本が復刻された出版フェアーでのことでした。

 ニューベリーの描く動物たちは、とにかく優しくかわいい。半世紀以上経た私たちの視覚にもニューベリーの動物に対する優しさが感じられます。「うさぎのマシュマロ」では、うさぎとねこの出会いから、仲良くなるまでの過程が、ニューベリーの繊細なイラストと言葉で描かれています。うさぎのマシュマロとこねこのオリバーのお話は事実に基づいて書かれていることが、翻訳者の劉氏とニューベリーの娘さんとの出会いの中で確認されています。
 家政婦のティリーさんにかわいがられていたオリバーのもとに、突然連れてこられたマシュマロは、まだ幼く母親が恋しいうさぎでした。ティリーさんはオリバーのこと、マシュマロのことを折に触れて、詩に綴ります。

 劉氏のリズミカルな詩の日本語訳が、生き生きとオリバーとマシュマロの様子を伝えているように感じます。
 

 二匹の動物たちがどんな風に仲良しになってゆくかは、この本を読んでのお楽しみですが、わが家でもスピッツの白ちゃんとシャムネコの赤ちゃんチイちゃんとの関わりを実際に経験しました。生まれたばかりのチイちゃんは手のひらに乗る位の大きさでした。ちょっと目を離したすきにいなくなり、必死で探しました。
 何と白ちゃんの犬小屋の中で白ちゃんにくるまれるようにお昼ねをしていました。白ちゃんにとっては侵入者であるチイちゃんをくるんでくれた白ちゃんの愛情を感じた日々を思い出した暖かい一冊です。

 ウサギ好きの方にも、猫好きの方にも、たまらないくらい可愛いニューベリーのイラストをお楽しみください。

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思い出の絵本 No. 8 「お母さん、大好き!」  『ふわふわあひるのこ』

 下の子が中学生になってから、14年間続けてきた絵本や童話の読み聞かせをすることが自然消滅していました。かわいいイラストに惹かれて開いた一冊。一人で読むにはもったいないくらい。久しぶりに18歳の娘と14歳の息子に読み聞かせをしてみました。

 動物が大好きな娘は、「あひるのこ」が出会う一つ一つの動物に「かわいい!」と感動の声を上げ、身長が180センチ近くになった息子は思春期特有の突っ張った表情を崩さないまでも、心の耳を傾けていることがわかりました。
 最後に、ひとりお散歩に出て迷子になった「あひるのこ」がお母さんあひると出会うシーンに二人ともほっとしたような表情を見せていました。
 「お母さん大好き!」と言えない年頃の娘や息子から、そんな声を聞いた一冊です。

 翻訳者の劉優貴子さんの言葉の運びがリズミカルで、やさしい響きが絵本に新たな魅力を加えているように思います。小さなお子さんから大人まで、お勧めの素敵な絵本です。

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トルコへの愛が感じられる絵本 『ギョレメ村でじゅうたんを織る』

  著者の新藤悦子さんは、津田塾大学で中近東ゼミを終えて、トルコに単身で渡ります。初めて見たじゅうたんを織るトルコの女性たちの姿が心に焼き付いて、再び、トルコへと旅立ちます。
 トルコ語を学び、一人旅に備えて女性だとすぐにわからないように頭を坊主にします。トルコの生活にしっかり溶け込むために日本の物は辞書以外一切持っていかないことにしました。著者のトルコへの並々ならぬ思いが感じられます。
 現地で、ハリメさんという女性に草木染のじゅうたんを学びながら、トルコの生活に次第に溶け込んでゆきます。その過程は、以前大人向けのルポとして「エツコとハリメ」に詳しく綴られていますが、惜しくも今は絶版となってしまいました。
 たくさんのふしぎ傑作集として子供向けにトルコの生活やトルコの絨毯を紹介するためにわかりやすい言葉と著者が自ら撮った写真が大きく載せられているので、トルコの様子が視覚的にも鮮やかに描かれています。
 世界自然遺産でもあるカッパドキア地方のギョレメ村、火山灰を風雨がけずってできた自然の彫刻が著者のすばらしい写真と文章で紹介され、絨毯を織るまでの糸の用意から糸車をまわす様子、草木染に挑戦するまでの過程、絨毯が完成するまでの日々が子どもたちにもわかりやすい言葉で語られています。
 村人の食事、イスラム教徒の結婚式の様子、割礼の意味とその様子、畑仕事、イスラム暦による犠牲祭、秋のブドウ畑と冬支度、村の学校、夕日の丘とひみつの洞穴からみるカッパドキアの奇岩の美しさが紹介されています。冬のカッパドキア地方の雪景色は絶景です。
 最期のページに、スミレの花を掲げたハリメさんと桜に似たアーモンドの花を掲げたハリメさんの末娘のスナさんの写真が載せてあり、春を告げる花、スミレとアーモンドに著者のトルコへの愛着とまた会いましょうという気持ちが込められているようで、感動的なフィナーレでした。
 トルコを知りたい方、トルコ絨毯について知りたい方、遠いアジアへのあこがれを抱いている方にぜひお勧めの一冊です。(93年刊の再刊。)

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2009年2月 4日 (水)

5匹のうさぎの「いのちのものがたり」 乳がんと最期まで闘った絵門ゆう子さんの明日へのメッセージ 『うさぎのユック』

 乳がんという病を抱えながら、最期まで前向きに生きた元NHKアナウンサーで、女優の絵門ゆう子さんが遺された明日へのメッセージとして改めて、絵本『うさぎのユック』をご紹介させていただきます。

 絵門ゆう子さんに関するHPはこちらです。

 乳がんの全身転移の症状で治療を続けている元NHKアナウンサーの絵門ゆう子さんの初の書き下ろしのものがたりです。聖路加病院から退院後、小児病棟の子ども達を励ますために朗読に出かけた絵門さんは「うさぎの絵を描きたい」という少女・まゆちゃんに出会いました。「私がうさぎのものがたりを創るから、うさぎの絵を描いてね」とまゆちゃんと交わした約束から命を得た五匹のうさぎ達、ゆっくりのユック、にっこりのニッコ、おっとりのオットー、のんびりのノンコ、がんばり屋のバリー。
「…一緒に生まれる他の兄妹たちのリーダーになるのですよ。…ゆっくりとよーく考えて生きるのですよ。あなたの名前はゆっくりのユック。いいですね。」という天の声に送られて生を受けたユックが主人公の5匹のうさぎのものがたりです。
5匹のうさぎ達が母さんうさぎのお腹の中にいるシーンから絵本は始まります。生まれる前の5匹のうさぎ達には、天使の羽がついています。そして、兄妹どうしおしゃべりをしながら育ってゆきます。一番に母さんうさぎのお腹に生を受けたユックは、四匹のきょうだいたちに押しつぶされるようにお腹の中で育ってゆきました。そのせいで、心臓と右足の機能が弱くなりました。ユックは、光の世界へ誕生するまでに、いくつもの困難を克服しなくてはなりませんでした。生まれる前の天の声、そして、お腹の中での世界、生まれる時の光の合図…私たちの記憶にない声や世界、そして合図が、ていねいに語られ、美しく描かれています。
5匹の兄妹うさぎのリーダーとして生まれたユックは、後ろ足と心臓が弱いにも関わらず、明るく前向きに育ってゆきます。ある日、ユックたちの前にライオンが現れ、ユックは決死の覚悟である方法を思いついて、難を逃れます。さて、ユックはどのような方法を思いついたのでしょうか。右足と心臓のハンディを克服して一生懸命生きてゆくユックの姿を見てください。そして、兄妹たちのユックへの優しさを感じてください。
 生まれる時も、あきらめなかったユック、右足の弱さにも心臓の弱さにも負けなかったユック、ライオンに襲われても希望を失わなかったユック。ユックの姿と作者である絵門ゆう子さんの姿が重なります。
 乳がんの全身転移という症状の中、前向きに生きて、朗読コンサートを通して、多くの人々に勇気を与え続けている絵門さん、頚椎症による麻痺が残る右手で美しい絵を描き続けている画家の山中翔之郎さん、そして、病気の治療に専念して絵を描くことを夢見ている少女・まゆちゃん。5匹のうさぎの「いのちのものがたり」は、三人の夢と希望と勇気が生み出した渾身の「いのちのものがたり」でもあります。
 表紙の絵のユックの耳の星形のしるしは、リーダーの宿命、ユックの姿に無心の決意を感じますか。「希望の光に向かう仲間の輪が広がって、みんなで、ゆっくり、にっこり、おっとり、のんびり、がんばって、長〜く、一緒に生きていけますように」(あとがきより引用)
 ユックたち、5匹のうさぎを通して、絵門さんのメッセージを感じてみませんか。

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2009年2月 3日 (火)

人生には、「まぁ、なんてこと!」という事態はつきもの  こんな風に乗り切ってゆけたらいいだろうなぁと思えるユーモラスで愉快な絵本  『まあ、なんてこと!』

 もし、朝、あなたが目を覚まして、頭の上に鹿のツノがはえていたら、どうしますか?そんなこと、考えられませんよね。そんなことを想像して一冊の絵本に仕上げたのは、コルデコット賞受賞作家で画家のデイビッド・スモール。

 デイビッド・スモールは、アメリカ、ミシガン州デトロイト育ち。妻のサラ・スチュワートと共に製作した『リディアのガーデニング』(福本友美子訳/アスラン書房)が1998年のコールデコット賞オナーに選ばれ、その後、Judith St. George文の“So You Want to Be President?”(未訳)にて、2001年のコルデコット賞を受賞しています。
 
 日本語訳では、妻と共に製作した前述の絵本の他、『ベルのともだち』(福本友美子訳/アスラン書房)や『エリザベスは本の虫』(福本友美子訳/アスラン書房)を通して、あたたかく明るいタッチの絵として親しまれていますが、本人の文による絵本は、福音館書店の「おおきなポケット129号」(2002年12月号)に「ユーラちゃんとあたまぴょんぴょん」が訳されているのみです。本書は、デイビッド・スモール作“Imogen's Antlers"の待望の日本語訳。
 
 朝、イモジェンという女の子が目を覚ましたら、頭の上に鹿のツノがはえていたのです。「まぁ、なんてこと!」とそう叫びたくなるのが人情ですが、イモジェンは、いつもと変わりなく、着替え、部屋を出て、朝ごはんに降りて行くのです。そのひとつひとつが何とも大変なこと。
 あなたには、その姿が想像できますか?

 そして、その姿を見たママは、「なんてこと!」とびっくりして倒れるし、お医者さんは、首をひねるし、校長先生は、どうすることもできません。

 ところが、百科事典を調べて「おねえちゃんは、ちょっとかわった小形のヘラジカになちゃったんだね!」という弟のノーマンに続いて、おてつだいのルーシーさんやコックのパーキンズさんから、それは、それは、ユニークな反応が返ってくるのです。そして、当の本人のイモジェンは・・・。それは、ディビッド・スモールの描く世界の中でのお楽しみ。

 人生には、「まぁ、なんてこと!」という事態はつきもの。こんな風に乗り切ってゆけたらいいだろうなぁと思えるユーモラスで愉快な絵本です。
 単に面白いというだけに止まらず、幼い子どもたちにとって、人生の心の原体験となり得る絵本ではないでしょうか。将来「まぁ、なんてこと!」と思える事態に接したとき、きっとこの絵本の原体験が無意識の力となってくれることでしょう。

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あなたも、お子さんと一緒に、表情や動きに溢れる言葉を感じてみませんか。 (マリー・ホール・エッツ) 『きこえるきこえる』

 『きこえる きこえる』は、2007年5月にブッキングにより復刊されました。全頁白黒の版画版には、動物や子ども達、お母さんの顔の表情や体の動きが巧みに描かれています。詞書も少なく、色彩もモノクロですが、絵本を開くと、動物達や子ども達、お母さんの気持ちがページから溢れてくるようです。

 エッツの絵本は、人間と人間の、そして、人間と他の生きもののコミュニケーションが言葉によるものではなく、顔の表情や体の動き(ボディランゲージ)、かすかな気配によって成り立っているかを静かに教えてくれるのではないでしょうか。

 書き言葉や話し言葉よりも声の調子や顔の表情、身振りによって、人は人の本当の気持ちを読み取っているのではないかということを感じます。「口先だけの言葉」と言われますが、真実の言葉は、もっと深い部分から伝わってくるのではないか。また、全身をかけて伝えるものではないかということに考えが及びました。

 私自身、点頭てんかんによる知的な障害を抱えた娘を育てながら、言葉というものについて深く考えさせられています。知的な障害を抱えていて言葉を話せないということと、心に意思や感情が無いということはイコールではありません。人間であるからには必ず意思や感情があると信じながら、娘のわずかな表情の変化や体の動きを通して、娘の心を感じながら育ててきました。
 2歳半で初めて、「あとうたん」(お父さん)と言い、4歳半の時に初めて、「んぽぽ、いれい」(たんぽぽ、きれい)という二語文を語った娘とのコミュニケーションはまさにエッツの『きこえる きこえる』の絵本の世界でした。

 絵本に満ちている動物や子ども達、お母さんの気持ち、そして、溢れてくる言葉に、不思議と心があたたかくなります。あなたも、お子さんと一緒に、表情や動きに溢れる言葉を感じてみませんか。

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思い出の絵本 No.6 『みつけたよ、ぼくだけのほし』

 僕だけの星、私だけの星があったら…と思ったことはありませんか?
 この絵本の主人公は、星が大好きな男の子です。男の子は、毎晩星をながめながら、「ぼくだけの ほしが あったらなあ」と思っていました。そして、星と友達になった時のことをいろいろと想像しています。いっしょに かくれんぼを したり、いっしょに いっぱい さんぽを したら、どんなに すてきだろうって、思うのでした。

 男の子は星をつかまえられるかどうかやってみることにしました。 
 さて、男の子が見つけた「ぼくだけのほし」は一体どんな星でしょう。

 私たち大人が、どこかに置き忘れてしまった純粋な心を思い出させてくれる絵本です。

 お子さんと一緒に、絵本の中で星を探してみませんか。あなたは、そして、お子さんは、どんな星を見つけるでしょうか。読み終えた時、きっと、やさしい気持ちになるでしょう。

 中学2年生になった息子に「もう読み聞かせはいいよ・・・」と言われweep、最後に読み聞かせた思い出の絵本です。

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2009年2月 2日 (月)

チマチョゴリを着たソリちゃんがかわいい絵本ーお子さんと一緒に、韓国のチュソクを楽しんでみませんか。  『ソリちゃんのチュソク』

 韓国には、旧暦8月15日、日本のお盆と同じように故郷に帰り、先祖のお墓参りをするチュソクという年中行事があります。ソリちゃんも両親と赤ちゃんと一緒に故郷に帰ります。チマチョゴリを着たソリちゃんがかわいい絵本です。
 都市に住んでいる人は、里帰りの準備に大忙し。見開きのページでは、ソリちゃんのお母さんが、ソリちゃんのチマチョゴリにアイロンをかけています。高速道路の渋滞、バスを待つ人々の長い列、都市に住む人々の様子が細やかに描かれています。
 田舎では、秋の収穫のよろこびを先祖に感謝してお祭りが始まります。村の入り口の守り神が鎮座する場所に植えられたタンサンナム(堂山木)と言う大樹の絵に始まるソリちゃん達家族の田舎の風景、チマチョゴリを着たハルモニの姿、ハルモニの家でせっせとお祭りの準備をする親族のひとりひとりの様子が生き生きと描かれています。
 チュソクの前夜に着いたソリちゃん達は、新米で作ったソンピョン(松餅)をいただきながらお月見をしています。満月がきれいです。チャリェ(茶礼)という先祖に収穫と報告のお礼をする儀礼の様子、お墓参りの様子、農楽隊のお囃子に合わせてみんなで踊るオッケチュム(肩踊り)、ソリちゃんも田舎のみんなもとっても楽しそう。

 ソリちゃんになりきって、韓国のチュソクを楽しむことができる絵本です。お隣の国、韓国についての知識に乏しい方がほとんどではないでしょうか。絵本を通して、韓国という国が身近に感じられました。お子さんと一緒に、韓国のチュソクを楽しんでみませんか。肩の力を抜いて、韓国の文化、風物に触れることができる絵本としてお勧めの一冊です。

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幼い子どもたちとお隣の国、韓国を知るための初めの一歩になりそうな絵本としてお勧めの一冊

 昔、韓国に「あかてぬぐいのおくさん」と呼ばれている針仕事の上手な奥さんがいました。「あかてぬぐいのおくさん」がうたたねをしたすきに7人の仲間達が「うちの おくさんが おはりが じょうずなのは なんといっても わたくしが いるからですわ」とそれぞれ主張し始め、けんかを始めました。そのけんかの様子がかわいいこと、こっけいなこと、何とも言えず笑いを誘います。

 「あかてぬぐいのおくさん」が7人の言い争う声にめざめて、「いちばん えらいのは この わたしだよ」と大声で言って、7人の仲間達を乱暴に箱の中に放り込みました。
 さて、この7人の仲間とは、一体何でしょう。とっても小さな仲間から、少し大きな仲間までいます。最後に、7人の仲間と「あかてぬぐいのおくさん」が一緒に針仕事をする様子が描かれていてほっとします。

 民話のようなお話と美しい絵を見ながら、お隣の国、韓国が身近に感じられました。韓国の部屋の様子、民族衣装、お針箱、引き出し、枕、小物類など、美しく描かれています。絵本のサイズも大きく、言葉も簡潔で、分かりやすい絵本です。幼い子どもたちとお隣の国、韓国を知るための初めの一歩になりそうな絵本としてお勧めの一冊です。

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韓国の絵本『あかいきしゃ』を読みながら、子ども達とハングル文字に触れてみませんか。

 『あかいきしゃ』は、韓国の絵本です。お隣の国、韓国のハングルと呼ばれている文字は、朝鮮王朝(1392−1910)の時代に、誰にでもやさしく学べる文字として、世宗大王によって創られ、1446年に「訓民正音」として公布されたそうです。
 ハングルが創られる前は、中国から伝わった漢字を使用していましたが、漢字を理解できるのは、ごく一部の知識階級の人だけでした。学者達を集めて、論理的に創造されたハングル文字は、母音と子音の組み合わせでできた表音文字であると同時に、陰陽五行の思想が込められた、象形文字でもあることが、翻訳者のおおたけきよみさんによって、解説されています。
 ハングルは、韓国の人々の文化や精神の象徴でもあるのです。

 赤い、長い汽車がラルラルラルと歌を歌いながら、線路を進んでゆきます。朝から、夜まで歌いながら、陽気に走り続ける赤い汽車、さて、何を運んでいるのでしょうか。
 ハングル文字と日本語の両方の文字が綴られています。
 記号のようなハングル文字は、実に神秘的です。初めて、ハングル文字に触れる日本の子ども達は、どのように感じるのでしょうか。子ども達の反応が楽しみです。
 他の国の文字に触れることは、その国を理解する初めの一歩かもしれません。『あかいきしゃ』の楽しい絵本を読みながら、子ども達とハングル文字に触れてみることが、韓国と日本の二国関係の未来の架け橋となってゆくことを願ってやみません。

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韓国と日本の草の根的な文化交流を感じる絵本  『うしとトッケビ』

 ある雪の日に、まきうりのトルセが牛をつれて帰り道を急いでいた時、おばけのトッケビの子に出会いました。大事なしっぽを犬にかまれて、困り果てています。

 人間なのか、猿なのか見分けのつかない顔に、ひょろながい手足のトッケビ。黒っぽい毛並みに、にょっきりはえた耳、小さなしっぽまでついていて、猫のようでもあり、犬のようなトッケビ。
 絵本の中では、トッケビは、可愛く、滑稽に描かれています。
 そのトッケビがトルセに助けを求めます。牛のお腹に入れてくれと…。さて、その後のトッケビは牛のお腹の中でどのようになるのでしょうか。

 韓国のロングセラーとなっている絵本『うしとトッケビ』は、有名な作家イ・サンが書いた唯一の童話だそうです。読み終えた後で、どこかで聞いたようなおはなしだなあと思いました。翻訳者のおおたけきよみさんの解説を読み、日本にあるおはなしの翻案作品だということが分かりました。
 「この絵本からは、子どもに語られるおはなしが世界各地を漂いながら、その地域その時代に必要とされるかたちに変容していく<物語の生命力>を感じることができます」という解説の言葉が心に残りました。韓国と日本の草の根的な文化交流を絵本の中に感じたからです。  

 トッケビはどのように牛のお腹から出てくるのでしょう。最後まで愉快で楽しいおはなしです。韓国のおはなしと日本のおはなしを読み比べてみるのも面白いのではないでしょうか。

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おばあさんとトラと卵、スッポン、うんち、きり、石うす、むしろ、しょいこの愉快なお話  『あずきがゆばあさんとトラ』

 韓国の有名な昔ばなしの翻訳絵本です。
 ある山里に畑であずきを育てながら一人で暮らしているおばあさんがいました。ある日、あずき畑で働いているおばあさんにトラが襲い掛かって、おばあさんを食べようとしました。
 おばあさんは、「トラさん、トラさん、このあずきが実ってから、あずきがゆを 1ぱいたべるまでまっておくれ」とトラに頼みます。おばあさんと一緒に、あずきがゆも食べたくなったトラは、「あずきができるころにまたきて、とって食ってやるからな」と言い残して去ってゆきました。

 韓国には、冬至に小豆粥を食べるという習慣があるそうです。
 あずきがゆをお釜に、いっぱい作ったおばあさんは、トラに食べられることが悔しくて、悲しくてしくしく泣きました。
 そこへ、やってきておばあさんに、話しかける卵、スッポン、うんち、きり、石うす、むしろやしょいこ…。韓国の農家にはどこにでもありそうなものばかりです。卵はコロコロところがって、スッポンはノソノソはって、うんちはベチャベチャと、きりはピョンピョンとんで、石うすはゴロゴロころがって、むしろはヒラヒラと、しょいこがガタガタと、やってきました。オノマトペがリズミカルな日本語として翻訳されています。
 
 皆、おばあさんが泣いている理由を聞き、おばあさんから、あずきがゆを1ぱいずつもらいます。おばあさんと卵やスッポンたちが交わす会話も昔話特有のくり返しです。そこへ、トラがやって来ました。さて、トラはどうなったでしょう。とっても愉快な結末です。それは、この絵本を読んでからのお楽しみ。
 読み終えた時、私は、日本のある昔話を思い出しました。そして、同じようなお話が伝わっているお隣の国韓国を身近に感じました。子ども達が絵本を通して、韓国を身近に感じることは、将来の二国間関係にきっと良い影響を及ぼすことと思います。韓国ならではのユーモアが感じられる絵本です。お子さんと一緒に楽しんでみませんか。

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珍しく蚊とハエが登場する韓国の美しい絵本  『蚊とうし』

 題名は、『蚊とうし』となっていますが、登場するのは、蚊とハエと牛です。主人公は蚊ともハエとも牛とも言えませんが、小さな害虫である蚊やハエが出てくるお話は、珍しいのではないでしょうか。

 勤勉に働く牛の血を吸っていたハエが、牛のしっぽではたかれ痛い目に遭う場面からお話が始まります。痛い目にあって、苦しんで反省しているハエをあざ笑う蚊。
 「…うしは いっしょうけんめい はたらいて たべているっていうのに、 おまえさんは ひるは ねてばかり。ゆうがたになると なにくわぬかおで ひとさまの血を ただで すってるだけじゃないか。それでも わるいとおもわないのかね。 わたしも やっぱり おまえさんと にたようなもんだから、 こころのそこでは もうしわけないと おもうことが おおいのに…」というハエの言葉が心に残ります。
 蚊やハエが繊細に描かれ、クローズアップされていて実に見事です。こんなにじっくりハエや蚊を見つめることなど現実の生活の中ではあり得ませんから、絵本の中で蚊とハエのリアルな姿をたっぷり楽しませてもらいました。

 蚊は、一日中、畑で辛い仕事をして、疲れた体を草原にどったり横たえている牛を見つけます。夕暮れのひととき、牛にとってはわずかに与えられたくつろぎの時間でしょう。草原の木陰で気持ち良さそうに目をつぶって休んでいる牛の姿が田園風景の中に小さく描かれています。
 蚊は、そんな牛に「蚊の大将さまのお出ましだ」と言いながら近づき、ブスリブスリと牛を刺します。「やーい、へのかっぱ。」とますます得意気な蚊。そして、牛の血をチュウチュウ吸い、ゴクゴク飲みます。ハエに大意張りする蚊。さて、その後、蚊はどうなったでしょうか。それは、この絵本を読んでからのお楽しみです。

 翻訳者のおおたけきよみさんの作品解説に作者のヒョン・ドンヨムが労働運動の活動家として組合の幹部をしていたことが記されています。そして、『蚊とうし』を「勤勉で愚直な牛と他の人の血を吸って生きる蚊やハエを対比させながら、労働者の気持ちを代弁させているといえるでしょう」と解説しています。
 『ソリちゃんのチュソク』でチマチョゴリを着た可愛いソリちゃんを描いたイ・オクベの絵が添えられた韓国の絵本です。珍しく蚊とハエが登場するお話を美しい絵本を通して、お子さんと楽しんでみませんか。

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韓国に伝わる想像上の動物「ヘチ」をモチーフにした豪快で愉快な物語  『ヘチとかいぶつ』

 ヘチは、韓国に伝わる想像上の動物です。姿は、山羊や獅子に似ていますが、頭のてっぺんに角が一本立っています。「お日様がつかわした官吏」という意味の「ヘチ」は、正義と平和を守る守護神として、今でも韓国の人々に親しまれています。
 
 この世が初めて出来た時、天には、暗闇を照らし、正義を守る太陽の神ヘチが、地の底の国には、恐ろしい怪物4兄弟が住んでいました。
 怪物4兄弟は、地の底から出てきて、しょっちゅう悪さを仕出かしていました。そのたびに現れて4兄弟を地の底に追いやるヘチ、4兄弟はヘチをひどく憎んでいました。怪物4兄弟は、ヘチをこらしめるために太陽を盗んでしまいました。そして、太陽にある悪さを仕出かします。

 さて、4兄弟が太陽に仕出かした悪さとは何でしょう。太陽が盗まれたこの世界は、どのような朝を迎えるのでしょう。ヘチは、4兄弟をどのようにやっつけるのでしょうか。

 4兄弟の仕出かす悪さのスケールの大きさが愉快です。そして、4兄弟をこらしめるヘチの姿が豪快です。悪者の怪物4兄弟も太陽を守る神ヘチも可愛く描かれています。この世の創めを語る韓国のお話の挿絵に、ふとセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」というお話を思い出してしまいました。

 韓国に伝わる想像上の動物「ヘチ」をモチーフにして、韓国固有の文化を今の子ども達に伝えるお話です。あなたもお子さんと一緒に韓国の人々に親しまれてきたヘチの豪快で愉快な物語を楽しんでみませんか。

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韓国の住居と家族を美しく描いた絵本  『マンヒのいえ』

 主人公のマンヒは、絵本の著者であるクォンさんの息子がモデルとなっています。マンヒ達一家は、狭いアパートから祖父母の住む水原(スオン)の広い家に引っ越すことになりました。水原は、韓国の首都ソウルの南にあります。

 アンバン(ざしき)、台所、納屋、チャンドクテ(納屋の上の甕を置くところ)、庭、玄関、お風呂、マル(リビング)、屋上、お父さんの部屋、マンヒの部屋…と、たくさんの部屋があり、3匹の犬が飼われているマンヒの祖父母の家の中をマンヒの家族の姿と共に眺めることができる絵本です。

 韓国の伝統的な置物や飾り、戸棚、そして、コチュジャンガメのように韓国独自の調味料、玄関の扉の上に飾られているタカのお札など韓国の人々に古くから愛されてきたものを随所に見る事ができます。
 
 韓国の住居が描かれている絵本として、女優の黒田福美さんが翻訳された『うさぎのおるすばん』も併せて読みましたが、『うさぎのおるすばん』はマンヒ達が転居前に住んでいた家の様子に近いのではないかと思われます。2冊の本を通して、現在の韓国の人々の住まいや暮らしの様子が、とても身近に感じられました。

 『マンヒのいえ』は、タイトルページに絵地図が、巻末に住居の俯瞰図が描かれていて、ゆったりと住居を見つめることができます。絵の美しさもさることながら、そこに住むマンヒの家族の満たされた表情にほのぼのとした気持ちを味わうことができます。韓国の住居と家族を美しく描いた絵本としてお勧めの一冊です。

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小型武器について、子ども達に分かりやすく解説した絵本  『小型武器よさらば 戦いにかり出される児童兵士たち』

 アフリカでは10歳未満の子どもまで戦争に参加しているって、ほんとうですか?」と著者は国連の専門家に問いかけてみました。
「残念ながらそれが現実です。子どもに銃を持たせて戦わせているのです。いやがる子どもは銃でおどされ、命令にしたがわないと、家族への食糧の配給も来なくなったりするのです。恐怖心を少なくするために麻薬を用いることもあります。親を亡くした子どもたちの施設から、おおぜいの子どもたちが連れ去られることもあるんですよ」との答えが返って来ました。
 21世紀の今とは思えないような過酷な現実です。
 容易に手に入り、簡単に取り扱うことができる小型武器の存在が多くの子ども達を戦場にかりだし、地域紛争を泥沼化させています。世界中には、地雷まで含めると、全部で5億から6億くらいの小型武器が存在し、毎年50万人もの人が小型武器の犠牲者となっています。犠牲者の多くが非戦闘員である女性や子どもたちです。

 もし、自分の子どもが戦場にかりだされたら、どんなに悲しいだろうとの思いで読み進んだ一冊です。銃を持って、他人の命を奪えと命令された子ども達の心に思いを馳せました。そのすさんだ生活を思いました。つらく悲しい現実から目をそむけないためにも世界の現状を知る必要があると思います。

 国連の小型武器への取り組み、各地の紛争の状況、小型武器削減と管理の必要性など、子ども達が戦場にかりだされる要因となっている小型武器について写真やイラスト、図表を添えて子ども達にも分かりやすく解説した絵本です。世界の平和を願いつつ、多くのお子さん達に読んで欲しい一冊です。

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梨木香歩さんの語りと木内達郎さんの絵の絶妙なコンビネーションによる蟹塚の由来ー二世代にわたる恨みが昇華されてゆく哀しく美しい物語  『蟹塚縁起』

 むかしむかし、薮内七右衛門という武将がいました。何千人もの兵を率いて戦っていた七右衛門は、家来たちをそれはそれは大事に思っていました。 七右衛門は、大事な家臣が人質にとられたと知った時、敵の罠とは知りながら、駆けつけたのです。
 他の家来たちも次々に打たれ、兵たちの屍が累々としている中、続けざまに敵の矢を受け、愛馬松波丸もろとも、同田貫正国という九尺五寸の刀を握り締めたまま、どうっとばかりに地面に崩れ落ちました。七右衛門は、「ああこの土と、もっと親しんで、生きたかった…」との思いを遺しながら、息絶えてゆきました。無念の戦死でした。

 七右衛門の思いは、同じ土地にとうきちという農民の子として生まれ変わりました。前世を語る旅人・六部…とうきちに前世の記憶が鮮明に甦る出来事が起こります。
 沢蟹をいたぶる名主の息子を諭して、沢蟹を救った日、名主から農作業に欠かすことの出来ない牛を取り上げられました。両親が亡くなってひとりぼっちのとうきちにとって、牛は、たったひとつの財産でした。
 牛のいない農作業を終え、へとへとに疲れて横になるとうきちの枕の下から聞こえるざわざわという音…外に出てみると、大勢の沢蟹が小川から家の床下を通って、青い月明かりの下を、 長い長い帯のようになって、どこまでも続いてゆくのでした。
 …あなたがその恨みを手放さぬ限り…という旅人六部の声と同時に遠い遠い記憶がよぎります。遠い昔、月の山野をこういうふうに大勢で歩いたことを思い出しました。

 同じ日の夕方、「押しかけ嫁でござります。」と横歩きをする女が、とうきちの家に現れ、掃除をしたり、夕餉の支度をしたりしています。とうきちは、「さてはおまえは蟹じゃろう」と言って、自分は大丈夫だから早く巣に帰るようにと声をかけます。すると、「私どもの気が済みませんので」と言って、あっというまに崩れ落ちて小さなたくさんの蟹となり散ってゆきました。鍋の蓋を開けると、ドジョウにタニシ、セリにゴボウが入っていました。
 蟹らしいことよ…と思いながら、有難く鍋をいただいたとうきちは、はっと思うところがあって、名主の館へと急ぎます。さて、それからは、この絵本をお読みください。

 梨木香歩さんの語りが七右衛門ととうきちの人柄の良さを、木内達郎さんの暗い色調の不思議な絵が、七右衛門とその家来たちの無念の思いを見事に語り描いています。二人の絶妙なコンビネーションによる蟹塚の由来、二世代にわたる恨みが昇華されてゆく哀しく美しい物語です。
 

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梨木香歩さんの語りと早川司寿乃さんの絵によって、現代に甦った「木花咲耶姫」、花の香りとさみどり色に満ちたさわやかな一冊  『マジョモリ』

 大きな山の麓に神社と森がありました。その森は、大人達からは「御陵」と呼ばれ、子ども達からは、「まじょもり」と呼ばれていました。神聖な場所として、中に入ることを禁じられていた子ども達は、こっそりとどんぐりを拾いに入ったりしていましたが、外の世界とつながっている範囲くらいまでしか入ったことがありませんでした。

 大きな山の麓にある「まじょもり」の冬は寒く、春になってもなかなか花が咲きません。そして、花が咲き始めると梅と桃と桜と、ほとんど同時に咲き、見事なものです。

 神社の神官の娘であるつばきのもとに、ある朝、届いた招待状「まじょもりへ ごしょうたい」。招待状を読んでいると、空色の不思議な植物のつるの先が、コンコンとつばきの部屋の窓ガラスをたたき、するするとつばきを森へと導きます。つばきの家の道の向こうが「まじょもり」です。

 暗い森に目が慣れた頃、樹木の香りが濃くなったところに、急に日が射している場所がありました。草や木が生えていなくて、こんもりと盛り上がった土の上に、片膝を立ててあぐらをかいてすわっている女性がいました。
 するすると伸びた空色の植物のつるは、その女性の髪の毛でした。退屈そうに髪を片手で梳いています。髪の毛はうすみどり、全体に白っぽくみえる若い女性でした。

 初めて入った森の奥で、出会った不思議な女性ハナさん、そして、もう一人の招待客ふたばちゃん。花が満開の「まじょもり」でハナさんとノギクやカキやサクラのお茶でパーティーが始まりました。
 ヨモギのお茶は野原の味が、ノギクのお茶は夕暮れの味が、カキのお茶は日なたの味が、サクラのお茶は森の味がしました。お茶のお菓子は、神饌、つばきが家から持ってきた生クリームやピーナッツバター、ジャムをはさんで食べます。

 ハナさんが初めて食べた生クリーム…ハナさんは、クロモジの小枝でぱくんと一つ口に入れ、空を見上げ、それから、目を閉じました。ガクンと頭を垂れたかと思うと、両方の手を拳につくり、それをぐっと前に差し出します。食べるごとに同じ仕草を繰り返すハナさん。
 「一ヶ月あれば」その味が好きか、嫌いかがわかると言います。

 ハナさんがお茶の後に出してくれた笹酒、「固く巻いた笹の芽が、初めてくるくるほどけたところに溜まった朝露を集めたもの」…つばきにとって、こんなに気持ちのすっとする飲み物は初めてでした。
 ジュースではない、お酒でもない、炭酸とも違う、甘ったるいところがまるでないのに、体中がそれを待っていたように飲み干しました。
 ふたばちゃんは、「甘露、甘露」と言って飲み干しました。つばきもハナさんも「甘露甘露」と続きます。

 さて、ハナさんは生クリームの味を気に入ったのでしょうか。そして、ふたばちゃんって、誰? ハナさんは、魔女なの? つばきちゃんは、どうやって家に戻るのでしょうか。それは、この絵本を読んでからのお楽しみです。表紙の絵の葉っぱの中の鍵穴をのぞくように、「まじょもり」の世界をのぞいてみませんか。

 梨木香歩さんは、「つばきは、だんだん、だんだん、頭がくらくら、ふらふらしてきました。そしてなんだか、地面がいつもの地面でないような気までしてきた、と思ったら…」のように、家のそばの森の人間の世界から別世界へと入るときの様子をさりげなく語っています。そして、早川司寿乃さんの絵は、写実的な絵からシュールな絵へと変わります。
 梨木香歩さんの語りと早川司寿乃さんの絵によって、現代に美しく甦った「木花咲耶姫」、花の香りとさみどり色に満ちたさわやかな一冊です。

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二世代にわたってペンキ屋という一生の仕事をやりとげた父親と息子、そして、その仕事を見守った母親とその妻を巡るファンタジー人間の愛と天職をテーマとした味わい深い絵本  『ペンキや』

 しんやは、母親からペンキ屋であった父を「発見」した時の話を聞くのが好きでした。そして、幼い頃からペンキが大好きでした。
 成長したしんやは父親と同じペンキ屋を目指して修業中。仕事となると見た目よりもずっとむずかしいものです。才能がないのではないかと悩むしんやは、母親から聞かされた父の墓を訪ねてフランスへと旅立ちます。お墓には「ふせいしゅつのペンキや ここにねむる」と書いてあることを聞かされていました。

 父親が乗ったのと同じ船のなかで、皿を洗ったり、ジャガイモをむいたり、甲板掃除をしたり…お金が無いので、船の中でいろいろな仕事を引き受けていました。朝焼けの海、夕凪の海、そして漆黒の闇…甲板掃除をしているしんやが見つめる海の色がステキです。

 ある日の午後、甲板に這ってきた霧の中から白いマントを着た不思議な女の人が出てきました。髪はまっすぐの亜麻色、陽に灼けているせいかまるで霧のように白く見えます。服もぞろりとした生成り色のような白いマントです。その人は「若いペンキやさん」としんやに呼びかけました。父親がペンキやであったことも知っていました。この船をユトリロの白で塗るようにとしんやに頼みます。
 不思議な女性が頼んだユトリロの白とは、「喜びや悲しみ、浮き浮きした気持ちや、寂しい気持ち、怒りやあきらめがみんな入った白」そして「世の中の濁りも美しさもはかなさもみんな入った白」だと言い残して霧の中に消えてゆきました。

 フランスへ行ったしんやは、父親のお墓を見つけることができないまま、日本へ帰って塗装店を開きました。初めてのしんやのお客さんだったゆりさんと結婚して、子どもを育て、お客のもっとも望む色を探し出し、人々を幸せにするペンキ屋となったしんやのもとに再び現れた不思議な女性は…。

 不思議な女性を登場させることを通して、物語がファンタジーへと昇華しています。「ユトリロの白」をモチーフにすることを通して、ペンキやという職業を芸術の域に高めています。
 出久根育さんの絵の中で、しんやとその父親、ゆりさんとしんやの母親の二世代にわたる喜びや悲しみ、世の中の濁りや美しさ、ファンタジーと現実が交錯して不思議な魅力を醸し出しています。

 二世代にわたってペンキ屋という一生の仕事をやりとげた父親と息子、そして、その仕事を見守った母親とその妻を巡るファンタジー。お墓に書かれた「不世出のぺんきや ここに眠る」という文字は、しんやの母親としんやの妻であるゆりさんにしか見えませんでした。ユトリロの白で書かれているように見えるのは、私だけでしょうか。
 梨木香歩さんの巧みな語りと出久根育さんの不思議な絵の中で、人間の愛と天職について深く考えさせられました。味わい深い絵本です。
 

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旅を続ける生命とその生命を支える絆を深く心に伝える物語  『からくりからくさ』

 母の古い家に共同生活を始めた孫娘の蓉子、下宿人の紀久、与希子、マーガレットの四人と市松人形の「りかさん」。かつて蓉子の祖母は、体は命の「お旅所」だと言った。命は旅をしている。私たちの体は、たまたま命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿ったのだと言う。
 祖母の家は祖母が亡くなった今も祖母の「育もう」とする前向きなエネルギーを留めている。祖母の気配に満ちた家で、心を持つ不思議な市松人形の「りかさん」を通してからまる四人の縁。
 

 蓉子は糸を染めながら、祖母の死と祖母の死後変わってしまったりかさんと向き合いながら生きている。紀久は紬を織り、紬の織り子さん達への実地調査を元に、織りの歴史を裏で営々と支え続けてきた名も無い女性たちのことをそれぞれの織物を通して紹介するための原稿に身を費やして生きている。そして、恋人神崎との辛い別れにも耐えている。
与希子はキリムを織り、紀久と蓉子との三人展のための作品創りに余念がない。マーガレットは、アメリカで異民族として生きた辛い過去と闘いながら、鍼灸を学んでいる。そして、神崎との間に出来た新たな命を育んでいる。

 原稿の出版にあたって試練を受け、故郷に帰っていた紀久が「人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです」と言う。 紀久と与希子の縁は、「りかさん」を作った澄月という人物を通して互いの祖先へと遡る。澄月は、人形作りになる前は能面を作っていた。紀久が紬を、与希子はキリムを織る。紀久とマーガレットの想い人である神崎青年を通して、織物は日本から中近東のキリム、クルドの世界へと及ぶ。それぞれの祖先が生き抜いてきた日常と今それぞれが生き抜いている日常が、からくりからくさのようにからまって、個を超えた普遍の模様を織り成す物語。

 蓉子が染めに使う植物や四人の食卓に上る庭の草花、クルディスタンに咲く草花が美しい。日本の織物である紬も中近東のキリムも、女達のマグマのような思いをとんとんからりとなだめなだめ、静かな日常に紡いでゆく営みであることを語る紀久の手紙の言葉が心に残る。抑圧された民であるクルド人の世界がマーガレットの恋人となった神崎の手紙を通して語られることで、物語の奥行きが深くなっていることを感じさせられる。クルドの民を語ることで、染めも織りも人形も能面も、美しいものは人間の抑圧された苦しみを経て作り継がれて来たことを作者は伝えたかったのではないかと思う。クルドを語ることなく、『からくりからくさ』を完結できない作者の思いの深さに感銘を受けている。

 染め、織り、人形、蛇、能面、唐草、それらの全てが、蓉子と紀久、与希子の合作「りかさん」炎上で芸術的な一体となる最期が圧巻だ。そして、「りかさん」の死が、マーガレットの新たな命へと連なり、蓉子、紀久、与希子、マーガレットの再生を予感させる。旅を続ける生命とその生命を支える絆を深く心に伝える物語としてお勧めの一冊。

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荒井良二さんの刻むゆったりとした時間  『バスにのって』

 バスに乗って遠くへいくために、一人でバスを待っている人がいます。

照りつける太陽と小さなバス停
広い空とそよっと吹く風
ラジオから聞こえてくる音楽
トントンパットン
トンパットン
 

 トラックが過ぎ、馬に乗った人が過ぎ、自転車に乗った人が過ぎ、いろんな人が通り過ぎて、夜になりました。バスを待っている人も眠り、ラジオも眠ります。朝になりました。トントンパットン トンパットンとラジオから、再び音楽が流れ始めます。照りつける太陽と小さなバス停、広い空とそよっと吹く風、そして、ラジオから聞こえてくる音楽、それだけしかない世界です。バスは来るのでしょうか。バスに乗って遠くへ行けるのでしょうか。そんなことすら忘れてしまうほど、のんびりとした時間が流れています。

 音楽のトントンパットントンパットンのリズムに乗って、ゆったりとした時間が流れてゆきます。照りつける太陽と小さなバス停、広い空とそよっと吹く風、そして、ラジオから聞こえてくる音楽、たったそれだけの世界ですが、なぜかそんな世界が恋しくなりました。多くのものに囲まれ、多くのことに煩わされて過ごしている内に私たちは、いつの間にか物事を複雑にしてしまったのではないでしょうか。トントンパットントンパットンのリズムに合わせて、単純に時を過ごしてみたらいかがでしょう。

 『バスにのって』は、荒井良二さんの刻む時がゆったりと流れている絵本です。

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猫のハスカップの愉快で、不思議な、奥深い旅の物語  『モンテロッソのピンクの壁』

 ハスカップはうす茶色の猫。体の大きさは中ぐらい、性格は楽天的で、金茶色の目をしています。どこにでも居そうな猫ですが、それが違うのです。小さな洋館の年取ったご婦人に飼われていて、毎日ソファーの上でまるくなって眠っていました。恵まれている猫、そして、怠惰な猫と思われそうですが、それも違います。

 ハスカップには繰り返し見る夢がありました。夢に出てくるのは、それはそれはきれいなピンクの壁。それが、モンテロッソのピンクの壁。「あのピンクの壁のある場所こそ、私がどうしてもいかなきゃならない場所なんだわ。なぜだかわからないけれど。」そして、それが、ハスカップの旅のはじまり。ご婦人の足をひとなめして、港に向かって雄々しく歩き始めるハスカップ。「何かを手に入れるためには何かをあきらめなきゃいけないことくらい、私はよく知っている。」ハスカップは、賢い猫なのです。

 港を過ぎ、気球に乗って、丘を越え、川を渡って、森を抜けて・・・ハスカップのモンテロッソへの旅は続きます。気球研究家や庭師のおかみさん、辻音楽師や運転士に遭いました。屋根を歩き、野原で眠り、市場を横切って、とうとうモンテロッソに着きました。そして、夢の中のピンクの壁にたどり着きました。

 「モンテロッソのピンクの壁」はハスカップにとってどうしても行かなくちゃならない場所だったのです。夢の中のピンクの壁に向かうハスカップの愉快で、不思議な、奥深い旅の物語。読み終えた時、ハスカップの決意が並々ならぬものであったことに気が付くでしょう。

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キュートナって、誰?いろんな楽しみ方ができる一冊の絵本  『ぼくのキュートナ』

 「はいけい。ぼくのキュートナ」で始まるキュートナへの手紙とキュートナへの言葉が対をなす15通の手紙集。

 キュートナって、動かない時計をしている。メガネをするとキリッとしてみえる。あるいてて、急に立ち止まる。よわよわしいけど、ちからもち。へんなぼうしがにあう。さむがりなのに、つめたいものばかり飲む。子どもよりもっと子どもっぽい、絵を描く天才。あれしたい、これしたいって、いつもいう・・・。

 キュートナって、誰?キュートナって、具体的な人物像とか浮かばないけれど、「ぼく」にとって特別な存在だってことは分かる。「ぼく」が心底愛しているってことも分かる。
もしかしたら、キュートナって、荒井良二さん、あなたのことかしら?

 「きみが描く絵ってスゴイね。子どもよりもっと子どもっぽい。天才だよ!」という言葉が胸にキュンと来る。自分の中にいるもう一人の自分にこんな手紙が書けたらいいな。自分のことをこんなに愛せたらいいな。子どもよりもっと子どもっぽいけれど、スゴイ絵と愛に満ちたユニークな言葉、最初は、手紙だけを読んで、次に言葉だけを読んで、その次に手紙と言葉を比べながら読む。そして、絵だけを見る。いろんな楽しみ方ができる一冊。

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何でものろのろの「ぼく」と何でもあわてる「わたし」と一緒に、はっぴぃさんに会いにゆきませんか。 『はっぴぃさん』

 何でものろのろの「ぼく」となんでもあわてる「わたし」は、はっぴぃさんに会いにいきます。二人とも「はっぴぃさん はっぴぃさん どうぞぼくの(わたしの)ねがいをきいてください はっぴぃさん!」と言いながら、ぼくは、のろのろと、わたしは、あわてて、はっぴぃさんに会いにゆきます。
 ぼくとわたしはどこの国の子ども達でしょうか。中南米あたりの子ども達のような服装をしています。山に入るまでは、ぼくの歩く場所は、のどかな田園風景ですが、わたしの歩く場所は、戦火の町のようです。戦車も見えます。一体どこの国でしょうか。

 山に入ると、川のそばにすずらんが咲いています。蝶も飛んでいます。かえるが池の中を泳いでいます。季節は、春から初夏あたりでしょう。ぼくは、山の入り口で、川を見つけて、はらばいになって川を見ています。わたしは、あわててバスを降りてかけだしたので、靴が脱げて川に流されてしまいました。その靴を見つけたぼく、「それ わたしの」と言って、ぬれたまま靴をはいたわたし。ぼくは、のろのろ、わたしはどんどん山をのぼってゆきます。そして、山の上の大きな石の端と端に座った二人。

 わたしの中をどんどん流れる時間、ぼくの中をのろのろ流れる時間。絵本の中の太陽が山の上の二人を照らし、山のふもとの戦車を照らしています。子どもより子どもっぽい絵と子どもより子どもっぽい文字が何とも言えず素敵です。子どもより子どもっぽい絵の中に、現実世界が象徴されているようです。そして、表紙の太陽と二匹の白い鳩や蝶、すずらんの花に、作者の希望が込められているように感じます。
 どこかの国のどこかの山の大きな石の上で、二人は、はっぴぃさんに会えるのでしょうか。何でものろのろの「ぼく」と何でもあわてる「わたし」と一緒に、あなたも「はっぴぃさん」に会いにゆきませんか。

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朝の目覚めの時をこんな風に迎えてみたいな  『ぼくとチマチマ』

 昨日猫を拾ったぼく。そのぼくと猫に夜明けがやってきて、そして、朝が訪れる。
たったそれだけのお話です。たったそれだけのお話ですが、絵本の中の時を鳥や小さなたいこやラッパや大きなたいこやアコーディオンが刻みます。夜明けが刻む時間は、ぼんやりぼんやり。とりは、ピーピーピーピー。小さなたいこはトントントン。ドーン ドン ドーン ドン。
 絵本の中の町は、モスクやバザールが描かれていますので、中近東の町でしょうか。人が来て、小鳥が来て、ろばが来て、くるまが来て、ミルクを運んで来る牛、誰も乗っていないバス、汽車がやってきます。朝の町は、どんどんにぎやかになります。
町はどんどん どんどんと時を刻んでいます。
 ぼくは、昨日拾った猫にチマチマと名づけました。絵本の中の時間がユニークに刻まれてゆきます。猫はチマチマと時間を刻んでゆくのでしょうか。朝の目覚めの時をこんな風に迎えてみたいなと思いました。荒井良二さんの描く不思議な時間と空間で朝を迎えてみませんか。

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2009年2月 1日 (日)

宮澤賢治の童話お薦め No. 3  『雪渡り』人の子と狐たちの出会いが美しく描かれた絵本

 「雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。」という一文に始まる宮澤賢治の『雪渡り』、絵本を開くと一面の雪の原がうっすらと青く、そして、七色の虹のような光を帯びて輝いています。
 
 たかしたかこさんの描く雪の清らかなまぶしさが、四郎とかん子と 小狐紺三郎が出会う世界へと導いてくれます。狐と出会った四郎はかん子をかばって「狐こんこん白狐、お嫁ほしけりゃ、とってやろよ。」と叫びます。「四郎はしんこ、かん子はかんこ、おらはお嫁はいらないよ。」と応じる小狐の紺三郎…宮澤賢治の語りがリズミカルに進みます。
 二人はキックキックトントンと紺三郎の歌に釣られるように踊り始めました。四郎もかん子も歌います。三人は踊りながら、歌いながら林の中に入ってゆきました。
「雪が柔らかになるといけませんから、もうお帰りなさい。今度月夜に雪が凍ったら、きっとおいでください。さっきの幻燈をやりますから。」言う小狐紺三郎。十一歳以下の子ども達だけが招待される狐の幻燈会…それは、「きつねは人をだます」という常識を覆す楽しい催しでした。

 清らかな雪の原を舞台に人の子と狐たちの交歓を描いた宮澤賢治の幻想童話、その中に人間の偏見に耐えて生きるものへの賢治の温かいまなざしを感じるのは私だけでしょうか。たかしたかこさんが描く清らかな雪は、そんな賢治の思いを映し出しているかのように感じられます。
 純粋であるがゆえに世に在り難かった宮澤賢治の短い命を思います。賢治の心を映し出すかのように描くたかしたかこさんの自然を通して、賢治の物語の世界に入ってみませんか。人の子と狐たちの出会いが美しく描かれた絵本です。

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宮澤賢治の童話お薦め No. 2 『竜のはなし』(『手紙一』)

 むかし、あるところに住んでいた一匹の竜は、力が強く、恐ろしく、激しい毒を持っていました。竜を見たあらゆる生き物は、見ただけで気を失ってしまったり、毒気にあって死んでしまうほどでした。あるとき、その竜が、良い心を起こして、もう悪いことはしないと誓いました。

 その後の竜の生き様(死に様)は、体中の皮膚がひりひりするほど心身に堪えます。わずか22ページ、言葉数も少ない絵本ですが、皮膚感覚として、また、視覚的に非常に衝撃的な印象を残します。宮澤賢治のファンの一人として、「賢治さんが伝えたかったことの核ではないだろうか」と直感的に思いました。

 戸田幸四郎さんの絵に渾身のパワーを感じます。戸田さんは「あとがき」で「生きものを愛し自然を愛し、まことの道のために、生きつらぬいた賢治の思想の大事な一面を端的に浮き彫りにしている作品ではないでしょうか。」と述べています。
Photo_2  宮澤賢治の世界は、一面的なアプローチでは理解が届かないほど深遠な世界です。戸田さんは「賢治の思想の大事な一面」そして「現代社会にこそとりもどさなければならない賢治の精神」として、『竜のはなし』を描いています。
 一冊の絵本を描くために、どれだけのエネルギーと資料を駆使されたことであろうか…戸田さんの目に見えない努力に思いを馳せました。宮澤賢治作品集の中では『手紙一』という題名だった作品を『竜のはなし』と改題して絵本化した戸田幸四郎さんのただならぬ気迫を感じる絵本です。

 「わが愛する幼な子たちを、情熱的に育もうとしている若きお母さんたちに心をこめて申し上げたい。」と呼びかけて、児童文学者の花岡大学さんが語る『絵本の解説「賢治童話」の「やさしい心」』に心を打たれました。
 花岡さんは、賢治が文学化しようとして書き続けた精神を「あるべき精神」や「捨身の心」、「やさしい心」として分かりやすい言葉に置き換えています。そして、『竜のはなし』をすべてのものを文学的に受け取るナイーブな、やわらかさを持った幼児期にこそ読むべき絵本として推奨しています。
 「このあまりに類書ない宮澤賢治の絵本をとりあげ、その作品のなかにみなぎる「やさしい心」のなんたるかを、幼児たちと、いっしょにめんめんと話し合いながらまちがいなく、つかみとっていただきたい」と力説する花岡大学さんの言葉が私の心の奥底まで響きました。

 この絵本には、まず大人である私たちが自分の人生(生き様)をかけて、また精神作業をかけて向き合うべきでしょう。その人の生き様は、死に様に通じるとも言われています。「このおはなしはおとぎばなしではありません。」という賢治さんの声が聞こえてきそうです。
 ナイーブな心を持った子ども達の方が、この絵本の良き理解者であるかもしれません。子ども達と話し合いながら、子ども達から教えれられることも多いのではないでしょうか。大人である私たちも真っ白な心で向き合うべき絵本だと感じます。今の日本に欠けている大切なものを教えてくれる類書ない絵本としてお勧めの一冊です。

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宮沢賢治の童話のお薦め No. 1 『虔十公園林』

 「好きな作歌は?」と問われたとき、真っ先に浮かぶのが宮澤賢治、そして、アンデルセン。折に触れてくり返し読んでいます。賢治の詩は難解ですが、童話はやさしく、あたたかく、国籍不明のあたたかさに満ちているように感じます。

 賢治の童話で好きなベスト3のひとつは、『虔十公園林』です。賢治童話は、小林敏也さんの画本・宮澤賢治シリーズ  15巻セットがお薦めですが、『虔十公園林』は伊藤亘氏のペーパーレリーフ作品をお薦めします。

 杉の黒い立派な緑、さわやかな匂い、夏のすずしい陰、月光色の芝生。「虔十公園林」は、虔十が杉の木を植えてから何十年もの月日が流れた今も、雨が降っては、すき徹る冷たい雫を、みじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては、新しい奇麗な空気をさわやかに吐き出しています。

 虔十が亡くなり、村に鉄道が通り、瀬戸物の工場や製糸工場が出来ました。畑や田が潰れて家が建ち並びました。村がすっかり変わってしまっても、虔十が植えた杉の木の列だけは立派に残りました。
 虔十が植えた杉の木の列に、『虔十公園林』と名づけた博士が昔を思いだしながら、「虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあと笑って歩いている人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ、全く誰が賢く誰が賢くないかは分かりません。ただ、どこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園です。」と語ります。十力とは、仏教用語で、「仏に特有な10種の智力のこと」、その測り知れない力が働いた虔十とは・・・。
 いつも縄の帯をしめて、笑いながら、杜の中や畑の間をゆっくり歩いている虔十、子ども達に馬鹿にされてはあはあ息だけついてごまかしながら笑う虔十、一生懸命に穴を掘り、兄さんの言う通りに苗を植える虔十、人の悪い平二に反対されても杉の苗を育て続ける虔十、無心に杉の木の枝打ちをする虔十、枝打ちをした杉の列に集まる子ども達を隠れて見ている虔十・・・私は、この話を読むたびに、心の底から暖かくなるのを感じます。最も無力なものに、最も大きな力が働くことを感じるからです。

 伊藤亘氏のペーパーレリーフによって描かれた虔十は、まるで仏像のようです。自らの名を「ケンジュウ」と表記することもあった宮澤賢治が理想とする人間像を伊藤亘氏のペーパーレリーフ作品を通して味わってみてはいかがでしょうか。

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宮澤賢治童話お薦め No. 4 たかしたかこさんのやさしい色彩の絵の中で、美しく昇華された賢治の死生観や宇宙観を感じてみませんか。

「うずのしゅげを知っていますか。」という語りで始まる宮澤賢治の『おきなぐさ』の物語です。「おきなぐさ」と呼ばれる「うずのしゅげ」を見たことのない私は、この絵本を開いて、その花の美しさにすっかり見入ってしまいました。
 「ごらんなさい。この花は黒繻子ででもこしらえた変わり型のコップのように見えますが、その黒いのは、たとえば葡萄酒が黒く見えるのと同じです。」という賢治の語りに、私の想像力が及ばなかった微妙な色合いや蟻と語り合う花びらの動きが繊細に描かれています。

 賢治は、自然の中の草花や小さな生き物から言葉を聞くことができる不思議な能力の持ち主でした。小岩井農場の七ツ森のいちばん西のはずれの西側の枯れ草の中に咲く二本の「うずのしゅげ」の言葉に耳を傾けています。
 「お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のように白く光ったり、又かがやいて大きな宝石のように蒼ぞらの淵にかかったりしました。」と雲や空の動きを詩的に語り、「その変幻の光の奇術の中で、夢よりもしずかにはなしました。」と賢治の語りは続きます。
 「変幻の光の奇術」の空の光と雲と小岩井農場の西の果ての風景が虹のような美しい色合いで描かれていて、賢治の世界にすっぽりと浸ってしまうことができそうです。
 雲を見ながら、雲のようすを語り合う「うずのしゅげ」、そこへ一匹の雲雀がやってきます。雲雀と語り合う「うずのしゅげ」、それから二ヵ月後の「うずのしゅげ」は、すっかりふさふさした銀の房になっていました。
 「どうです。飛んでゆくのはいやですか。」と問う雲雀に「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです。」と答える「うずのしゅげ」の銀の房。
「…飛んだってどこへ行ったって、野はらはお日さんのひかりで一杯ですよ。僕たちばらばらになろうたって、どこかのたまり水の上に落ちようたって、お日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ。」という「うずのしゅげ」。
 「うずのしゅげ」は、奇麗なすきとおった風とともに北の方へ飛んでゆきました。さて、賢治の語る「うずのしゅげ」は、それからどうなったのでしょうか。
 
 賢治の作品は、間口が狭いと感じることがたびたびあります。その狭い間口を見つけてもすんなり入っていけるわけではありませんが、絵の力によって、賢治の語る世界に入ることができることを知らされました。

 賢治の死生観や宇宙観が、『おきなぐさ/いちょうの実』という短い物語の中にちりばめられていることを感じます。たかしたかこさんのやさしい色彩の絵の中で、美しく昇華された賢治の死生観や宇宙観を感じてみませんか。

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障害を抱えた子どもと健常な子ども達が共に過ごし、共に育ち合う環境の大切さを教えてくれる絵本  『ぺカンの木のぼったよ』

 幼稚園にペカンの木がありました。木の下に青いマットレスが敷いてあります。その上に、体を動かすのが不自由なりんちゃんが、横たわっています。
 りんちゃんは、赤ちゃんの頃に病気をしたので、手や足を動かすことも、お話をすることも不自由になってしまった男の子です。りんちゃんは、幼稚園のみんなと仲良し。特に、お話好きのみっちゃんは、お話を「うんうん」と聞いてくれるりんちゃんが大好き。

 みっちゃんが、りんちゃんのそばに寝転がって、道で見かけた5匹の猫の「ねこざぶとん」の話を始めました。そこに、やっちゃんとさっちゃんがやってきます。みんなで「ねこざぶとんごっこ」が始まりました。
 それを見ていた、ゆうちゃんが、「ねこざぶとん」どこかな?とペカンの木に登り始めました。さっちゃんが続きます。そして、みっちゃんも…と思いきや、「りんちゃんも、木のぼりしたいの?」と声をかけます。体の不自由なりんちゃんを、ペカンの木に登らせてあげようと力を合わせるみっちゃん達でしたが、みんなの体はりんちゃんを持ち上げるには、あまりにも小さいのです。そこで、はるこせんせいの登場です。

 「ねこざぶとん」って、何でしょう。りんちゃんは、ペカンの木に登ることができるのでしょうか。体の不自由なりんちゃんを巡る幼稚園の子ども達と先生の心温まるエピソードが描かれています。
 障害を抱えた子どもと幼い頃に出会った子ども達は、障害をあるがままに受け止めて育ってゆくのではないでしょうか。障害を抱えた子どもと健常な子ども達が共に過ごし、共に育ち合う環境の大切さを教えてくれる絵本です。

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時間と死を超えた愛の物語  『ミリー 天使にであった女の子のお話』

 『ミリー —天使にであった女の子のお話—』は、1816年、ヴィルヘルム・グリムが母を亡くしたミリーという少女に宛てた手紙に添えられた物語です。ヴィルヘルムは兄のヤーコプと共にグリム童話の収集家として知られています。

 ヴィルヘルムの手紙は、小川を流れる花と夕ぐれの山を越えて飛んでゆく鳥をモチーフとした詩的で美しい文章で綴られています。ミリーの家族が所有していた物語が売却され、1983年に出版社の手に渡ったことから、すぐれた絵本作家モーリス・センダックとの出会いがありました。5年がかりで描かれたというセンダックの渾身の絵が添えられています。

 夫に死に別れた女性が、ある村のはずれに、たった一人残された娘と住んでいました。娘は気立てもよく可愛い子でした。お祈りを朝晩欠かさず、スミレやローズマリーを花壇で上手に育てる娘には、きっと守護天使がついているに違いないと母親は信じていました。
そんな二人に戦争が押し寄せてきます。母親は戦争から娘を守るために、森の奥に娘を逃がしてやりました。森の奥深くで聖ヨセフと出会い、娘の守護天使である金髪の美しい女の子と出会い、3日間を過ごし、母親のもとに戻ると、30年の年月が過ぎていました。
母親は30年の年月を経て、また、大戦争の恐ろしさと苦しさを経て、すっかり老いていますが、娘は、昔と同じ服を着て、昔と同じ姿のまま母親の前に立っています。再会を果たした二人は・・・。
 3日が30年という不思議な時間軸の中で、戦争という悪、信仰、母と子の愛、神の愛が語られています。ヴィルヘルムが生きた古いドイツは、当時ナポレオンの占領下に置かれたり、フランス軍の占領下に置かれたり、非常に不安定な時代でした。物語の中で、ミリーと守護天使の無垢な美しさと戦争の醜さがコントラストをなしています。

Photo この物語を通して、ユングの弟子であったマリー=ルイーゼ・フォン・フランツの「昔話は、普遍的無意識的な心的過程の、最も純粋で簡明な表現です。それは、元型を、その最も単純であからさまな、かつ簡潔な形で示しています。」という言葉を思いました。ミリーが過ごした深い森は、人間の普遍的無意識とも思えます。小川に流した花が、ずっと離れた場所で別の女の子が流した花と出会うように、また、夕ぐれの山を越えて飛ぶ鳥が最後の日の光の中で、もう一匹の鳥と出会うように、人間は普遍的無意識の中で、母の愛や神の愛の元型と出会えるのではないかと予感させられました。
 ヴィルヘルムの慈しみに満ちた手紙に始まる『ミリー』は、時間と死を超えた愛の物語と言えるかもしれません。モーリス・センダックの幻想的で美しい絵と神宮輝夫氏の美しい日本語が、絵本の芸術性を高めていることを感じます。

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戦争を語ることなく、湾岸戦争の悲惨さを浮き彫りにしたユニークな物語  『弟の戦争』

 1990年のイラク軍のクウェート侵攻に始まり、1991年初頭多国籍軍の空爆により本格化した湾岸戦争を私たちはどのように記憶しているだろうか。生々しい殺戮の現場や戦争に苦しむ人々の肉声ではなく、多国籍軍の空爆に破壊されてゆくイラク軍の戦闘機や建造物の映像、油にまみれた海鳥の映像など、テレビ放送による映像の記憶がほとんどではないだろうか。

 物語はイギリスのロンドンのごく平凡な家庭に始まる。父は強くてたくましいラグビーの名選手、母は面倒見のいい州議会議員、そして、主人公のトム15歳、弟のアンディ12歳。トムは弟を「フィギス」(たよれるやつ)と呼んでいた。
 フィギスは、リスの子や飢えに苦しむエチオピアの親子の写真などを見ると、とりつかれたみたいになって「助けてやってよ」と言う。遠く離れた人の心を読み取る不思議な力も持っている。兄のトムだけが、フィギスが物にとりつかれた状態を知っていた。
 湾岸戦争勃発とともに、イラクの少年兵ラティーフが、フィギスの体に入りこんでしまった。いつもの夢が始まったと思い、ゲームのつもりでいたトムであったが、事態は深刻な方向に展開する。イラクの少年兵ラティーフが入り込んだフィギスは、その奇妙な行動から精神病院に入院させられることに・・・。

 精神病院の病室に作った防空壕で、排泄物をもらして空襲に怯えるフィギス。火だるまの仲間を救おうとするラティーフ、焼けただれた両手を振り上げ、声を限りにアメリカ人をののしるラティーフ。フィギスの苦しみは、ラティーフの死まで続くが、精神科医のラシード先生とトムだけが、フィギスとラティーフの真相を知っており、両親は何も知らない。兄であるトムの目を通して、弟のフィギスを襲った事件が語られてゆく。
 

 フィギスの変わり果てた姿をどのように受け止めるかは、読者次第であるが、物語を読み終えた後、フィギスを襲った苦しみが不思議な感触をもって心に残る。また、フィギスの担当医であったアラブ人のラシード先生の存在も忘れがたい。インテリ層に属しながら、アラブ人としての人種差別を受け、戦争の悪を知りながら、イラク人がフセインを支持することへの理解を示すラシード先生は人間の抱える矛盾を体現しているように思えた。
 直接に戦争を語ることなく、フィギスがもがき苦しむ姿を通して、戦争の悲惨さを浮き彫りにしたユニークな物語。湾岸戦争という対岸の戦争を全身で受け止めたフィギスの存在を深く記憶にとどめたいと思う。

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牛飼いの少年ロビンと白い羽の雁の妖精の束の間の出会いを描いた物語

 夜と夜明けの間にうっすらと射す月明かり、霜が降りて、草原は銀色に輝いています。牛飼いの少年ロビンにとって、暖炉の火が暖かい家に帰る時間が近づいて来ました。お母さんが朝ごはんを作って待っています。牛を呼ぶロビンの声がこだまして、霧の中で呼び返す声が響いた時、一羽の白い雁が月明かりの中に消えるのが見えました。
 ロビンは家路に着くのを忘れて、草原に落ちている雁の白い羽を辿って行きます。牛たちの道からそれ、ガマが生い茂っている湿地へと向かうと、そこには、雁の群れに囲まれて一人の少女が立っていました。少女は笑い声を立てて、手招きをしています。
 少女が近づき、ロビンの手をとりました。その手は、月の冷たい光に触れたかのような感触でした。
 「いらっしゃい・・・さあ、みんなと飛ぶのよ」と誘う少女にロビンは・・・。
 寒い夜を通して、一人で牛を見守る少年ロビンに束の間の夢を見させてあげたかったのでしょうか。ターシャの深い人間愛を感じます。とがり耳をもつ牛飼いの少年ロビンと白い羽の雁の妖精との束の間の出会いと別れを描いた何とも神秘的で美しい物語です。
 「ターシャ・テューダークラッシックコレクション」の中の異色の一冊。くすんだ青を基調とした白、黒、青、茶の少ない色彩で描かれた絵本、夜明け前の月の光と雁の白い羽が透明感あふれて美しく描き出されています。

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ターシャ・テューダーコレクション

 私が好きな絵本作家のターシャ・テューダーさん(米絵本作家、園芸家)が、2008年6月18日、米東部バーモント州マルボロの自宅でお亡くなりになりました。享年92歳。

 米ボストン生まれ。1938年『パンプキン・ムーンシャイン』でデビュー。ストーリーだけでなく、情感豊かで繊細な挿絵も人気で「ターシャ・テューダーのマザー・グース」「ひつじのリンジー」など数多くの作品を残しました。作品の多くが日本でも翻訳されています。

  book----『パンプキン・ムーンシャイン』----book

 ハローウィーンの日に、コネティカットのおばあちゃんの家に遊びに来ている小さな女の子シルヴィー・アンは、かぼちゃちょうちんを作るために、りっぱにまるまるとふとったかぼちゃを探しに丘の上の畑に向かいました。
 おともは犬のウィギー。はぁはぁ息を切らしながら丘を登ると、刈り取ったとうもろこしの間に見事なかぼちゃが見えました。まるまると太ったかぼちゃは重くて持ち上げることができません。シルヴィー・アンは雪だるまを作る時の要領でかぼちゃをころがしてゆくことにしました。
 ところが、丘の端まで来て、下り坂が始まると、かぼちゃはころがりはじめました。ぼん!ぼん!ぼ、ぼーん!はずみをつけてころがってゆきます。やぎやにわとりやがちょうを驚かせ、どんどんころがる大きなかぼちゃ。
 シルヴィー・アンとウィギーとかぼちゃは、無事におばあちゃんの家に辿りつくのでしょうか。それは、この絵本を読んでのお楽しみ。
 アメリカで最も愛されている絵本作家ターシャ・テューダーの処女作。日本では初期傑作の絵本11冊が、内藤里永子さんの翻訳によって、2001年から2002年にかけて「ターシャ・テューダークラッシックコレクション」として出版されました。
 同コレクションにはシルヴィー・アンが登場する絵本が他に4冊あります。「がちょうのアレキサンダー」「こぶたのドーカス・ポーカス」「おまつりの日に」「ひつじのリンジー」
 いずれも豊かな自然と動物たち、そして、小さな女の子シルヴィー・アンが生き生きと描かれています。『パンプキン・ムーンシャイン』は、ハローウィーンにお勧めの一冊。自然への深い愛に満ちた愉快なお話です。

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コーギビルの村まつりを巡る愉快なお話  『コーギビルの村まつり』

コーギビルは、アメリカの絵本作家ターシャ・テューダーが描いた想像上の世界です。
 ニューハンプシャーの西、バーモントの東にある村で、教会とホテル、郵便局と雑貨店、それに戦争記念碑があって、コーギ犬と猫とウサギとボガートが住んでいます。
 ボガートは、スウェーデン生まれのトロルという妖精の一種、オリーブ色の体に水玉模様のあるあやつり人形のような陽気な妖精として描かれています。
 物語は、コーギビルで、クリスマスの次に楽しい「村まつり」のお話です。
 村の長老さんのスピーチ、祝砲、コーギビル音楽隊のファンファーレとともに始まった村まつり、最大のイベントはヤギのグランドレースです。
 コーギ犬のブラウン家と猫のトムキャット家の対決が予想される中、ちょっとした事件が・・・。銀貨100枚の入った大きな優勝カップがかかっています。レースに出場するために、ヤギのジョセフィーンを調教してきたコーギ犬のケイレブに、優勝を狙うエドガー・トムキャットが何か企んでいるようです。
 さて、レースの結果はどうなるのでしょう。
 コーギビルの村の風景、住人である動物や妖精の姿、村まつりの様子、どれもが細部まで丁寧に描かれています。想像上の世界ではあっても、コーギ犬、ウサギ、猫など登場する動物たちも村の風景も全てが現実の世界のきっちりとしたスケッチを基に描かれていることが感じられます。
 ターシャは、1830年代のニューイングランドの暮らしにあこがれ、バーモント州の自然に囲まれて、当時の生活様式を守りながら暮らしています。『コーギビルの村まつり』にはターシャの愛する古き良き時代の村まつりの様子がリアルに再現されています。
 原作の発行が1971年、ターシャ56歳の頃に完成した作品です。完結編とも言われている『コーギビルのいちばん楽しい日』を書き上げたのが87歳ですから、「コーギビル・シリーズ」三部作には、絵本作家としてターシャの人生をかけた並々ならぬ思いが感じられます。
 『コーギビルの村まつり』は、シリーズの第一作、コーギビルの村まつりを巡る愉快なお話です。

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