旅を続ける生命とその生命を支える絆を深く心に伝える物語 『からくりからくさ』
母の古い家に共同生活を始めた孫娘の蓉子、下宿人の紀久、与希子、マーガレットの四人と市松人形の「りかさん」。かつて蓉子の祖母は、体は命の「お旅所」だと言った。命は旅をしている。私たちの体は、たまたま命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿ったのだと言う。
祖母の家は祖母が亡くなった今も祖母の「育もう」とする前向きなエネルギーを留めている。祖母の気配に満ちた家で、心を持つ不思議な市松人形の「りかさん」を通してからまる四人の縁。
蓉子は糸を染めながら、祖母の死と祖母の死後変わってしまったりかさんと向き合いながら生きている。紀久は紬を織り、紬の織り子さん達への実地調査を元に、織りの歴史を裏で営々と支え続けてきた名も無い女性たちのことをそれぞれの織物を通して紹介するための原稿に身を費やして生きている。そして、恋人神崎との辛い別れにも耐えている。
与希子はキリムを織り、紀久と蓉子との三人展のための作品創りに余念がない。マーガレットは、アメリカで異民族として生きた辛い過去と闘いながら、鍼灸を学んでいる。そして、神崎との間に出来た新たな命を育んでいる。
原稿の出版にあたって試練を受け、故郷に帰っていた紀久が「人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです」と言う。 紀久と与希子の縁は、「りかさん」を作った澄月という人物を通して互いの祖先へと遡る。澄月は、人形作りになる前は能面を作っていた。紀久が紬を、与希子はキリムを織る。紀久とマーガレットの想い人である神崎青年を通して、織物は日本から中近東のキリム、クルドの世界へと及ぶ。それぞれの祖先が生き抜いてきた日常と今それぞれが生き抜いている日常が、からくりからくさのようにからまって、個を超えた普遍の模様を織り成す物語。
蓉子が染めに使う植物や四人の食卓に上る庭の草花、クルディスタンに咲く草花が美しい。日本の織物である紬も中近東のキリムも、女達のマグマのような思いをとんとんからりとなだめなだめ、静かな日常に紡いでゆく営みであることを語る紀久の手紙の言葉が心に残る。抑圧された民であるクルド人の世界がマーガレットの恋人となった神崎の手紙を通して語られることで、物語の奥行きが深くなっていることを感じさせられる。クルドの民を語ることで、染めも織りも人形も能面も、美しいものは人間の抑圧された苦しみを経て作り継がれて来たことを作者は伝えたかったのではないかと思う。クルドを語ることなく、『からくりからくさ』を完結できない作者の思いの深さに感銘を受けている。
染め、織り、人形、蛇、能面、唐草、それらの全てが、蓉子と紀久、与希子の合作「りかさん」炎上で芸術的な一体となる最期が圧巻だ。そして、「りかさん」の死が、マーガレットの新たな命へと連なり、蓉子、紀久、与希子、マーガレットの再生を予感させる。旅を続ける生命とその生命を支える絆を深く心に伝える物語としてお勧めの一冊。
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