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2009年6月11日 (木)

名作における新訳の必要性 原作を超える力 ― 曽野綾子訳『幸福の王子』(バジリコ)の最後の一文に寄せて

幸福の王子 Book 幸福の王子

著者:オスカー・ワイルド
販売元:バジリコ
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 小説『ドリアン・グレイの肖像』や戯曲『サロメ』で世界的に有名なイギリスの小説家、劇作家、そして、詩人でもあるオスカー・ワイルド(Oscar Wild 1854ー1900)の童話『幸福の王子』に出会ったのは、30代の初めに勤務していた女子高の速読の授業でテキストとして用いた"The Happy Prince and Other Stories"(PUFFIN CLASSICS)を通してでした。
 ワイルドは"The Happy Prince and Other Tales"と"A House of Pomegrantes"という二つの童話集を30代で出版しています。中でも『幸福の王子』は、文学史上の名作の一つとして、年齢層を問わず全世界で愛読されている作品です。

 2006年に"The Happy Prince"を翻訳した曽野綾子氏が本書の「あとがき」で「近頃の人々は読書をしなくなった。もし一人の人間が生涯でたった一冊しか本を読まなくなり、それも聖書のような或いはドストエフスキーのような重く長い作品は読めないということになったら、その時、そのたった一冊に選ぶのは、私なら『幸福の王子』だ。もっともほかにも数編そうした未練を残す作品はあるが、さし当りこの作品から選ぶだろう。」(47p)とまで絶賛しています。

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫) Book 幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

著者:ワイルド
販売元:新潮社
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本書に出会って以来、9編のワイルドの童話を新潮文庫『幸福な王子』(西村孝次訳)で再読し、改めてワイルドの童話がグリムやアンデルセンの影響を受けた文学性が高い作品であることを感じ、『幸福の王子』だけでなく、どの作品も物語展開や場面設定が巧みで、また、繊細で美しい表現の下に、貧しい人びとや虐げられた人びとへの同情が込められている味わいが深い作品であることを感じましたが、曽野氏ほどの価値を『幸福の王子』に見い出すことはできませんでした。

 貧しい人や苦しんでいる人のために涙を流す幸福の王子の像。
 王子の悲しみに触れて、自分の命を犠牲にしてまで、貧しい人や苦しんでいる人を助けたいという王子の思いを届ける一匹のつばめ。「幸福の王子」は、王子とつばめの自己犠牲的な愛と同情(コンパッション)が詩情豊かに描かれている作品ですが、宝石や花々や衣服や什器、刺繍などの美を語る言葉が際立ち、肝心な愛の本質を語る言葉の力が乏しいように感じました。ワイルドの童話との出会いが30代初めであったことや英文であったこと、ワイルドの戯曲『サロメ』や小説『ドリアン・グレイの肖像』を読んだ後の出会いであったことが影響しているのかもしれません。
 とは言え、クリスチャンである私にとっては、物語全編を通して、イエス・キリストの姿が透かし絵のように立ち上がってくることを感じ、キリスト教の思想を背景とした「幸福観」「愛」「同情」…、人間の愛を超えたキリスト教的慈愛の精神が一編の詩のように物語に“美的”に埋め込まれていることを感じます。
 ワイルドは、シリルとヴィヴィアンという二人の息子たちに語った話として童話集を発表していますが、キリスト教という宗教的背景を持たない日本の子ども達には、作品の理解が難しいのではないかと感じながら、子どもの心で読んでいたら、一体どんな感想を抱いたのだろうかと自問しています。

 曽野訳をはじめとする『幸福の王子』の新訳を数冊読み、個人的には、西村訳を名訳として好みますが、曽野訳の極めて優れている点を最後の一文に感じました。
 「ただ一行だけ私が意識的に変えたところがある。それは最終の文章で、神は天に上げられた「幸福の王子」が「ずっと私を賛美するであろう」というのが原文である。しかし聖書の世界では、天国において神を賛美するということは、必ず神とともに永遠に生きることが前提となっている。そこをはっきりさせないと、神は自分を褒めたたえてくれる人だけを天国に集めるのか、と問われてしまう。それゆえ、そこだけ本来の意味に重きをおくことにした。理解していただきたい。」(本書:pp. 52-53)と「あとがき」にも書かれている通り、意訳がなされている点です。

 原文 "You have rightly chosen,' said God, 'for in my garden of Paradise this little bird shall sing for evermore, and in my city of gold the Happy Prince shall praise me."(p.15 "The Happy Prince and Other Stories"(PUFFIN CLASSICS))
西村訳:「おまえの選択は正しかった」と神様は言われました、「天国のわたしの庭で、この小鳥が永遠に歌いつづけるようにし、わたしの黄金の町で幸福な王子がわたしを賞めたたえるようにするつもりだから」(西村訳 p.25)
 曽野訳:「お前はいいものを選んだ。私の天国の庭では、このつばめは永遠に歌い続けるだろうし、私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共にいるだろう」(本書 p.44)

 「私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共にいるだろう」という最後の一文は、クリスチャンである曽野綾子氏ならではの意訳ではないでしょうか。曽野氏のキリスト教の理解が、ワイルドのそれを超えて本作品に普遍性をもたらしているように感じました。キリスト教の本質を深く理解している曽野氏とキリスト教の思想を唯美的に捉えているワイルドとの違いではないかと思います。
 本書は、最後の一文において原作を超える力を持つのではないかと感じます。新潮文庫の西村訳を名訳であると認めながらも、名作には新訳が必要であることを教えてくれる貴重な一冊として本書を記憶に留めておきたいと思いました。

 
 

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