梨木香歩著『家守綺譚』の植物アルバム
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家守綺譚 著者:梨木 香歩 |
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家守綺譚 (新潮文庫) 著者:梨木 香歩 |
百年少し前の日本が舞台となった物語。
主人公綿貫征四郎は、縁があって亡き友高堂の家守をすることになった。高堂家の北は山に面し、南は田圃に面している。山から田圃に向かって疎水が流れ、家の中に池がある。四季折々の植物に恵まれた環境の中で、新米知識人として物書きを生業とする綿貫征四郎は、河童や小鬼、白竜の子、桜鬼、聖母に出遭う。床の間の掛け軸の絵から、時折亡き親友高堂が現れる。
綿貫に想いを寄せるサルスベリ、綿貫が踏み破った床から育ったカラスウリ、狸に化かされた後に届けられたマツタケに添えられていたホトトギスの花など、植物と綿貫を巡る28の綺譚集。
28の植物の写真を眺めながら再読すると味わいが深い。例えば、高堂が床の間に落としていったセツブンソウ、鈴鹿の山の斜面一面に咲く花を知っていますか。「見慣れぬ純白の繊細な造りの花」「下界にまみれぬ、清澄な気配を辺りに放っている」と表現されているセツブンソウを知ると、綿貫の「成程これでは深山の奥にしか棲息できまい」と思う気持ちに深く共感できる。また、南蛮ギゼルも同様だ。「不思議な浮世離れした感じ」を好み、南蛮ギゼルが出て来たのを嬉しく思う綿貫の気持ちに少し近づけるような気がする。空間的にも時間的にも別次元の物語でありながら、28の植物が読者との接点として重要な役割を果たしていることを感じた。
物語のクライマックスは、最終章の「葡萄」ではないだろうか。夢の中で湖の底とおぼしき広場にゆき、テーブルに置かれた葡萄の魅惑に負けずに、夢から現実へと戻ることができた綿貫征四郎。綿貫の物書きとしての成熟を予測させる夢であることを感じさせられる。親友の死を次なる作品の中で昇華できるのではないだろうかという期待感が心地良い読後感につながる。
綿貫の元に時おり届く村田の土耳古からの便りも物語の世界に空間的な広がりを与え、続く作品『村田エフェンディ滞土録』への布石となっていて興味深い。現実に深く着地した世界から、読者をファンタジーの世界へと導くのが梨木作品の魅力ではないだろうか。28の植物のみならず、鬼の子や鳶を見て安んずる心性を持った主人公綿貫自身が読者をファンタジーの世界へ導くのに一役買っているように感じる。
ワープロからパソコンへと進化した世界に生きながら、「ペンが進まない」というより、「筆が進まない」と云う方を好む綿貫の言葉に深い共感を覚える。100年経た私たちの魂も未だ旅の途上にあるのかもしれない。見返しの「白鷺」「巴の雪」の日本画も表紙もすばらしい。『家守綺譚』の中には、時代の進歩に齟齬を覚える魂に深い安らぎを与えてくれる時間が静かに流れている。心と体が疲れたとき、ふと読みたくなる一冊である。
追記:梨木香歩著『家守綺譚』の物語の世界をより深く味わうために「家守綺譚の植物アルバム」を作成しました。http://mothergoose-0510jp.cocolog-nifty.com/photos/nashikikahoshokubutsu/ (2009年2月15日)
追記2:「家守綺譚の植物アルバム」を閲覧してくださる皆様のため、過去記事を更新しました。(2009年10月10日)
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