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2011年9月

2011年9月18日 (日)

絵本『わたし いややねん』@西本クリニック緑(横浜市緑区長津田町)

  現在、児童書の中から、意図的に障害をテーマとした作品を選んで読んでいます。

 国際連合が指定した国際障害者年である1981年の前後に、障害をテーマとした児童書が数多く出版されましたが、既に絶版となっていたり、図書館の書庫に納められている作品が多いことに気づかされました。

 実社会でも、障害、特に知的な障害への関心が薄いという現実があります。そんな現実に悲しみを覚え、障害をテーマとした児童書の良書に出会ったら、レビューを書くことを心がけています。

 ほのぼの文庫にアップしたレビューはこちらです。

 2011年9月13日、車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける絵本として(吉村敬子著・松下香住絵)『わたし いややねん』(偕成社)を紹介しましたら、医療法人 社団研幸会の理事長である西本研一医師が、早速、絵本を購入してくださり、西本クリニック緑の診療室に置いて下さいました。

Photo

 書いたレビューに反応をいただけると、本当にうれしいものです。

 西本医師は、スピーディかつ良質な医療の提供をモットーとして地域に根差した医療に取り組んでいます。クリニックを訪れた患者さん方の目に触れ、手に取って読んでいただけることを願っています。西本先生、ありがとうございました。

 医療法人 社団研幸会の公式ホームページは、http://www.nishimoto.or.jp/ です。

追記 西本クリニック緑では、月に一度、クリニック内のけんこう道場で和みのヨーガが開催されています。2011年3月26日に、震災チャリティー 『和みヨーガ』が開催された時には、私もインストラクターとして参加させていただきました。こちらです。

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2011年9月16日 (金)

「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか

からだが よわくても、ちえが おくれていても、
どんな 子どもでも、みんな おなじ人間。
うつくしい 心をもった人間や。
そして、ぼくの
ともだちや。
だから、ぼく
わるくちをいう ともだちを、
「かわいそうやなあ。」と おもっているんや。

みんなみんなぼくのともだち Book みんなみんなぼくのともだち

著者:福井 義人
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 深い慈しみに満ちたこの詞の作者は福井義人君。小学校三年生の時に書きました。義人君は、知能に重い障害を持つ子ども達の施設「止揚学園」で生まれ、学園の子ども達と共に育ちました。学園の創立者である福井達雨氏の長男です。
 1980年に出版された本書は、精神年齢推定六か月くらいの園児たちの絵と義人君が小学校三年生のときに書いた日記を組み合わせて作られました。絵本を開くと、学園の子ども達の素朴で力強いイラストにほっとします。そして、義人君の目を通して見た学園の子ども達の精一杯の生きざまに心打たれます。
 本書の背景には厳しい障害者差別があります。周囲の大人たちが「アホと遊ぶとアホになる」「悪いことをしたり、勉強ができなかったら止揚学園に入れるぞ」と教えたり、おどしたりしていた時代です。義人君が、算数で5点をとったとき、学校の友達から「おまえは止揚学園で生まれたからアホや、赤ちゃんのオミソ(脳みそ)や」とからかわれます。小学校で友達が遊んでくれず、一人ぼっちになった義人君はとうとう登校拒否をするようになりました。
 そんな理不尽な偏見に対して、義人君は「あたまはよわいけど、やさしい心をもっている子どもたちやで」と心の底から訴えています。義人君は決して、障害児を美化することなく、ひとりひとりの命の輝きを真っ直ぐに捉えています。傷つきながら育った義人君の深い洞察力に頭が下がります。
 あとがきの「義人の悲しみとは…」で父親である福井達雨氏が、「…その心を育ててくれたのは、止揚学園の重い知恵おくれの子どもであったのだ」と述べています。学校の先生方に、ぜひ、読んでいただきたい。健常な人間の持つ傲慢さに気づかされ、教育の原点に立ち返ることができるのではないでしょうか。日本の社会は知的な障害児・者への関心が薄く、未だに、その理解が進んでいません。社会から隔離されなくては生きていけない重い知恵おくれの子ども達の存在を忘れてはならないと思います。ぜひ、ご家庭で、お子さんと一緒に読んでいただきたい。
 義人君のように「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか。大胆な絵と洞察力に満ちたことばと、本書には時の流れを経ても古びない魅力があります。本書が読者に愛され、長く読み継がれていくことを願ってやみません。止揚学園の子ども達による『ボスがきた』、『みなみの島へいったんや』とあわせて、お薦めします。

(以上、ほのぼの文庫管理人まざあぐうすが、オンライン書店ビーケーワンに投稿した書評です。)

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2011年9月13日 (火)

車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい

わたしいややねん Book わたしいややねん

著者:吉村 敬子
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  セピア色やモノクロの車いすが、折りたたまれたり、倒れたり、風呂敷に包まれて見えなくなったり、画面いっぱいに大きくなったり…、絵本の表紙から裏表紙まで描かれているのは車いすだけ。描いたのは、友人として長年著者である吉村敬子さんの車いすを押し続けた画家松下香住さん。各ページには著者の思いが関西弁で一文ずつ添えられている。「わたし でかけるのん いややねん」に始まり、「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」で終わる。

 なぜ、人は車いすに乗っている自分をじろじろ見るのだろう?
 なぜ、障害を抱えた自分が強くならなくてはならないのだろう?
 違うのは車いすを使わなくてはならないということだけなのに…。

 著者が幼いころから感じてきたであろう心の叫びが痛いほど胸に響く。手足に障がいを抱え、車いすで生活を続けている著者が感じている理不尽な思いや悔しい気持ちを無言の車いすが代弁している。

 1980年に出版されて話題になった本書を30年経た今、図書館で借りた。日本の社会は、未だに障がい児・者にとって多くの問題を抱えている。著者の思いは悲しいかな、今も変わらないだろう。図書館で借りた絵本に「書庫納」というシールが貼られていた。絶版になっていないことだけが救いだ。本書の出版の一年前の1979年に偕成社から「ハンディを負った子を理解するための本」の一冊として『車いすのレイチェル』が出版されている。レイチェルが生き生きと生活する様子が描かれており、イギリスと日本の社会の在り方の違いが浮き彫りにされていたが、今は絶版で手に入らない。あまりにまっすぐに障がいを語り、描き過ぎていたからだろうか。本書が、今も読み継がれているのとは好対照だ。

 「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」
 最後の一文ががっつりとと胸に迫る。障がい児・者は、障がいを抱え不自由を感じながら精一杯生きている。そして、さらに追い打ちをかけるように「強くなること」を要社会から求されているのだ。もし、自分が「強くなれ」と社会から要求され続けたら、どのように感じるだろう。障がいを抱えた人に「強くなれ」と要求する社会は間違っている。障がいを抱えて生まれてきても、普通に生きていける社会の実現を願わずにはいられない。車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい。

(以上、ほのぼの文庫の管理人まざあぐうすが、2011年9月12日、オンライン書店ビーケーワンに投稿した書評です。)

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2011年9月 8日 (木)

絵本『車いすのレイチェル』~障害児・者をテーマとした児童文学作品の課題の提示

  レイチェルは足が不自由な女の子。
 車いすを使って、みんなと同じ小学校に通っています。スクールバスにいっしょに乗ることができないので、お母さんが車で送り迎えをしていますが、授業時間も、そうじの時間もみんなと同じように過ごします。モルモットにえさをやる係もします。ときどき、友だちに車いすを押してもらうこともありますが、スロープはレイチェルの車いすも、みんなと同じように通っていきます。表紙にはレイチェルが車いすにすわって、手を上げている姿が生き生きと描かれています。授業でも積極的に発言している様子が伺われます。
 家庭でも家族といっしょに同じように過ごし、旅行もします。ガールスカウトの活動にも加わり、水泳や乗馬も楽しみます。レイチェルは、足に障害を抱えていても普通の子ども達と同じように、将来への夢と希望を持っています。レイチェルとみんなの違いは車いすに乗っている、ただ、それだけ。
 作者のファンショーも10歳の時から車いすを使っています。本書は「障害児も普通児と同じように、活動的な人生がおくれる社会になってほしいと願ってかかれた」絵本です。挿絵を描いたチャールトンは、この本の絵をかくために、学校や家庭をたずねて多くの身障児と話し合ったそうです。絵をよく見ると、そうじの時間に、みんなが机やイスを運んでいる時、車いすに座って、流しで食器を洗っているレイチェルの姿が描かれています。また、プールでは、両肩に浮き具をつけて真剣に泳ぐレイチェルとそれを見守る白衣の専門家の姿が描かれています。遊びではなく、それがリハビリテ―ション(機能訓練)であることが分かります。チャールトンの絵はレイチェルの努力を語り、本文の背後にある身障児の世界に読者を誘います。
 日本では邑田晶子氏の訳により、1979年に出版されました。同じ時期の日本で1980年に出版された絵本『わたし いややねん』(吉村敬子・文・松下香住・絵・偕成社刊)では、車いすに乗ることへの恥じらいや深い悲しみ、そして、社会の不条理が語られており、イギリスと日本の社会の在り方の違いが浮き彫りにされます。
日本の社会は、未だに障害児・者にとって多くの問題を抱えています。「ハンディを負った子を理解するための本」の一冊であるこの絵本を多くの子どもたちに読んでほしい、そして、レイチェルのような子どもの存在とその豊かな生き方を知ってほしいと思います。しかし、本書は現在絶版です。あまりにまっすぐに、素朴に障害を語り、描き過ぎているのでしょうか。『わたし いややねん』(吉村敬子・文・松下香住・絵)が、今も読み継がれているのとは好対照です。子どもたちだけでなく多くの読者に長く読み継がれていくためには、障害児・者をどのように語り、描いたらよいのか?今後の障害児・者をテーマとした児童文学作品の課題が提示されているように思えます。

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