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2011年10月

2011年10月24日 (月)

詩集『100かぞえたら さあ さがそ』~「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 タイトルとなっている「100かぞえたら さあ さがそ」は、耳のきこえない五人のこどもたちがかくれんぼをする時のことば。本書は、長年ろう学校で障害児教育に携わってきた作者が、聴覚障害のある子ども達と共に過ごす中で、感じたこと、気づいたことを子ども達の心になってうたった詩集です。

 耳が不自由な「ぼく」にことばを教え続けた母さん。ことばがなかなか覚えられないと、よくほっぺをぶたれた。そんな母さんが、「じょうはつしちゃんたんだよ」と父さんが言った。”じょうはつ”したら空気になる。「母さんの空気 すいたいな」と「ぼく」が言う。「母さんの 空気」という詩がぐっと胸に沁みて涙が止まりませんでした。

 「民主主義」や「同じ」ということばの手話の不思議、とうさんやかあさんと交わす手話のあたたかさ。
 生まれつき耳の不自由な子どもを持つ家族の気持ち、家族と離れてろう学校の寄宿舎にいるさびしさ。
 聴覚障害のある子ども達のことばの訓練。季節の草花や木々を感じる心…。
 詩のことばの行間に子どもたちへの深い慈しみの心が満ち、また、聴覚障害を抱えながら、せいいっぱい生きている子どもたちへの絶対的な信頼が感じられました。
 本書は聴覚障害のある子ども達をめぐる、楽しく、切ない詩集。詩のことばを通して聴覚障害への理解が深まれば作者の最も望むことでしょう。読者の一人として、本書が長い年月多くの読者に愛され、聴覚障害への理解が深まり広がることを心から願いつつ、「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性を感じています。

Book 100かぞえたらさあさがそ (草炎社こども文庫 5)

著者:新井 竹子
販売元:草炎社
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2011年10月21日 (金)

『はせがわくん きらいや』~障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 主人公の「はせがわくん」は、絵本の作者である長谷川集平氏のこと。
 「ぼくは、はせがわくんが、きらいです。はせがわくんといたら、おもしろくないです。なにしてもへたやし、かっこわるいです。はなたらすし、はあ、がたがたやし、てえとあしひょろひょろやし、めえどこむいとんかわからん。」
 作者は、病弱でひ弱だった幼い頃の自分のことを、友達の目線で切り離して語っています。
 「あの子は、赤ちゃんの時、ヒ素という毒のはいったミルクのんだの。それから、体こわしてしもたのよ。」と真実をありのままに語る母親、「はせがわくん泣かんときいな。わろうてみいな。もっと太りいな。」と心底願う友達、作者の故郷のことばが、リズミカルにあたたかい。中でも、「はせがわくん、きらいや」は独特の響き。そう言われるたびに、「はせがわくん」が生き生きと立ち上がって来る。「はせがわくん、きらいや」ということばが写し出す作者の人間としての尊厳と、その思いを反転するかのような友情、「あの子と仲ようしてやってね。」という母親の願いと負けず劣らず真に迫ることば。森永ヒ素ミルクの被害の真実やその家族、とくに母親の心情、被害児童を取り巻く子ども達、悲惨な真実が独特の手法と語りであっけらかんと明かされる。
 墨で書きなぐったような手書きの素朴な文字、デフォルメされた子ども達…。
 美しく整った絵本という概念を破って描かれた(書かれた)画期的な絵本として、1976年に出版された当時、「創作絵本新人賞・優秀賞」を受賞しています。しばらく絶版の時を経て、多くの人々の要望で復刊されました。1976年すばる書房初版の復刊です。その独特の手法と語りは、今もなお、斬新さを保ち、読者の心に迫る。
 森永ヒ素ミルクの被害という社会的関心の薄いテーマの児童文学作品が多くの読者の関心と強い要望を得て復刊されたことに作者の並々ならぬ力量を感じると同時に、障がいをテーマとした児童文学作品にも様々な可能性があるのではないかという思いを強くしました。障がいをテーマとした良書が次から次へと絶版となってしまう現実に打ちひしがれることなく、新たな可能性を追求した作品の誕生を待ち望みたい、そんな希望を抱かせてくれた一冊です。

はせがわくんきらいや Book はせがわくんきらいや

著者:長谷川 集平
販売元:ブッキング
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2011年10月21日、オンライン書店ビーケーワンの今週のオススメ書評に選ばれました。

書籍タイトル:はせがわくんきらいや
書評タイトル:障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性
URL:http://www.bk1.jp/review/494819

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2011年10月10日 (月)

だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。

  本書は「ヒルベルって、ほんとうに悪い子だよ。」というホーム(施設)の子ども達のことばで始まり、「あの子は、その後どうなったのかしら」とヒルベルを回想するマイヤー先生のことばで終わる物語。決して、ハッピーエンドではありません。
 主人公のヒルベルというのはあだ名で、本当の名まえはカルロットー。ドイツ語でヒルンは脳とか知能を、ヴィルベルは渦とか混乱を意味します。あだ名の通り、ヒルベルは脳に障がいを抱えていました。出産の時の外傷のために、原因不明の頭痛や発作を起こし、ことばもうまく話せません。父親は不明で、母親にも見捨てられて、町はずれにある施設に収容されている10歳の少年。
 施設から脱走したり、施設の管理人を困らせたり…、夜は裸のまま洋だんすの中に入って出て来なかったり…。手に負えないので、施設の中で「処置なし」とされています。そんなヒルベルをあたたかく見守ってくれる保母のマイヤー先生や親切なドクター、ヒルベルのために心理テストを施してくれる心理学者もいますが、ヒルベルはあくまでもヒルベルのまま変わりません。

 私は何度もこの物語を読みました。読むたびに作者であるヘルトリングの真摯な思いが心に迫ってきます。主人公のヒルベルも、物語も決してハッピーではないのに、なぜ、くり返し読むのか? それは、読み重ねるたびに、ヒルベルのような子どもの存在を知ってほしいというヘルトリングの強い願いが感じられるからです。また、その願いは、知的な障がいを抱えた娘の母親である私自身の願いとも重なり、私の切なる心の叫びを代弁してくれるかのように感じられるからかもしれません。

 ヒルベルの仕出かした特異な行動も、美しい声で讃美歌を歌う様子も、羊をライオンと信じて疑わず、羊の群れで一夜を明かすあり様も、ヘルトリングは淡々と語ります。ヒルベルの病名や障害名については一切語っていませんが、ヒルベルという子の長所も短所も鮮やかに浮き彫りにされています。また、ヒルベルをめぐる人々の反応もヒルベルの表情も目に浮かぶようです。
 社会から切り捨てられたヒルベルのような存在を知らないまま大人になっていく子どもたちがほとんどです。ヘルトリングは子ども達を信頼して、どうか、ヒルベルのような子どもを知ってほしいと願っています。物語の行間に、読者となるであろう子どもたちへの信頼が感じられます。それと同時に、ヒルベルという子に対する不動の信頼が感じられました。ヒルベルには、ヒルベルなりの知恵があり、ヒルベルなりにしっかり生きているのだと。ヒルベルへの同情や憐みは微塵も感じられません。<だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。>というヘルトリングの声が心の芯まで響く物語です。
 原作は1973年に刊行されていますが、少しも古びない物語です。翻訳者である上田真而子氏の美しくリズミカルな日本語訳も見逃せません。文庫版のしおり『「ヒルベルという子がいた」を読んで感じたこと』という河合準雄氏の16ページに及ぶ感想も圧巻です。本書の物語のより深い理解を促してくれます。

ヒルベルという子がいた (偕成社文庫) Book ヒルベルという子がいた (偕成社文庫)

著者:ペーター ヘルトリング
販売元:偕成社
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2011年10月 9日 (日)

『わたしたちのトビアス』(偕成社)~ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本

 スベドベリ―家に五番目に生まれた男の子トビアスは、ダウン症という障がいを抱えていました。ダウン症は染色体の数が通常よりひとつ多いことにより起こります。両親はトビアスがダウン症であることをを子どもたちに語り、トビアスのような子どもたちのための特別な施設にトビアスをあずけることを相談しました。すると、子どもたちは、大反対。
 弟であるトビアスの障がいを知らされたきょうだいたちは、「トビアスに手がかかるなら、わたしたちみんなで、てつだうのがあたりまえでしょう」と言い、それぞれが障がいについて考えるようになりました。そして、「ふつうでない弟がいてよかった」と思います。なぜなら、「ふつうでないとはどういうことかが、わかるようになるからです。」と。
 この絵本はスウェーデンという社会福祉の進んだ国で作られました。ノーマライゼーション、つまり、障がいを抱えた人もそうでない人も社会の中で対等に生きていくのが当たり前という考え方が1960年代頃から国家の政策の中に導入されているからでしょうか。トビアスのきょうだい達は、弟であるトビアスの障がいを当然のことのように前向きに受け止めています。
 もし、あなたの家に生まれた赤ちゃんがダウン症という障がいを抱えていたら、どのようにその事実を受け止めるでしょうか? 自分や家族の障がいの受容は、私たち人間にとって永遠のテーマかもしれません。日本では、ダウン症という障がいがあることすら知らない人も少なくないでしょう。
 「みんな、いっしょにくらさないから、おたがいに、わかりあったり、すきになったりできないんだわ。」
 きょうだい達のことばに深く共感します。小さい頃から、障がいを抱えた子ども達とそうでない子どもたちがいっしょに暮らし、遊び、学び合うことができれば、その後の人生で障がいを抱えた人に出会った時に自然と理解を示すことができるのではないでしょうか。
 本書の絵はトビアスのきょうだい達が、そして、文章はお母さんが書きました。トビアスの障がいを前向きにとらえた明るく愛に満ちた絵本です。続編に『わたしたちのトビアス学校へ行く』、『わたしたちのトビアス大きくなる』があり、トビアスのその後の成長が語られています。続編も含めて、ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本です。

わたしたちのトビアス Book わたしたちのトビアス

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本) Book わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本)

著者:ボー スベドベリ,トビアスの兄姉たち
販売元:偕成社
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わたしたちのトビアス大きくなる Book わたしたちのトビアス大きくなる

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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