<障害をテーマとした児童文学作品>

2011年10月24日 (月)

詩集『100かぞえたら さあ さがそ』~「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 タイトルとなっている「100かぞえたら さあ さがそ」は、耳のきこえない五人のこどもたちがかくれんぼをする時のことば。本書は、長年ろう学校で障害児教育に携わってきた作者が、聴覚障害のある子ども達と共に過ごす中で、感じたこと、気づいたことを子ども達の心になってうたった詩集です。

 耳が不自由な「ぼく」にことばを教え続けた母さん。ことばがなかなか覚えられないと、よくほっぺをぶたれた。そんな母さんが、「じょうはつしちゃんたんだよ」と父さんが言った。”じょうはつ”したら空気になる。「母さんの空気 すいたいな」と「ぼく」が言う。「母さんの 空気」という詩がぐっと胸に沁みて涙が止まりませんでした。

 「民主主義」や「同じ」ということばの手話の不思議、とうさんやかあさんと交わす手話のあたたかさ。
 生まれつき耳の不自由な子どもを持つ家族の気持ち、家族と離れてろう学校の寄宿舎にいるさびしさ。
 聴覚障害のある子ども達のことばの訓練。季節の草花や木々を感じる心…。
 詩のことばの行間に子どもたちへの深い慈しみの心が満ち、また、聴覚障害を抱えながら、せいいっぱい生きている子どもたちへの絶対的な信頼が感じられました。
 本書は聴覚障害のある子ども達をめぐる、楽しく、切ない詩集。詩のことばを通して聴覚障害への理解が深まれば作者の最も望むことでしょう。読者の一人として、本書が長い年月多くの読者に愛され、聴覚障害への理解が深まり広がることを心から願いつつ、「詩」という一つの文学のジャンルに、障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性を感じています。

Book 100かぞえたらさあさがそ (草炎社こども文庫 5)

著者:新井 竹子
販売元:草炎社
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2011年10月21日 (金)

『はせがわくん きらいや』~障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

 主人公の「はせがわくん」は、絵本の作者である長谷川集平氏のこと。
 「ぼくは、はせがわくんが、きらいです。はせがわくんといたら、おもしろくないです。なにしてもへたやし、かっこわるいです。はなたらすし、はあ、がたがたやし、てえとあしひょろひょろやし、めえどこむいとんかわからん。」
 作者は、病弱でひ弱だった幼い頃の自分のことを、友達の目線で切り離して語っています。
 「あの子は、赤ちゃんの時、ヒ素という毒のはいったミルクのんだの。それから、体こわしてしもたのよ。」と真実をありのままに語る母親、「はせがわくん泣かんときいな。わろうてみいな。もっと太りいな。」と心底願う友達、作者の故郷のことばが、リズミカルにあたたかい。中でも、「はせがわくん、きらいや」は独特の響き。そう言われるたびに、「はせがわくん」が生き生きと立ち上がって来る。「はせがわくん、きらいや」ということばが写し出す作者の人間としての尊厳と、その思いを反転するかのような友情、「あの子と仲ようしてやってね。」という母親の願いと負けず劣らず真に迫ることば。森永ヒ素ミルクの被害の真実やその家族、とくに母親の心情、被害児童を取り巻く子ども達、悲惨な真実が独特の手法と語りであっけらかんと明かされる。
 墨で書きなぐったような手書きの素朴な文字、デフォルメされた子ども達…。
 美しく整った絵本という概念を破って描かれた(書かれた)画期的な絵本として、1976年に出版された当時、「創作絵本新人賞・優秀賞」を受賞しています。しばらく絶版の時を経て、多くの人々の要望で復刊されました。1976年すばる書房初版の復刊です。その独特の手法と語りは、今もなお、斬新さを保ち、読者の心に迫る。
 森永ヒ素ミルクの被害という社会的関心の薄いテーマの児童文学作品が多くの読者の関心と強い要望を得て復刊されたことに作者の並々ならぬ力量を感じると同時に、障がいをテーマとした児童文学作品にも様々な可能性があるのではないかという思いを強くしました。障がいをテーマとした良書が次から次へと絶版となってしまう現実に打ちひしがれることなく、新たな可能性を追求した作品の誕生を待ち望みたい、そんな希望を抱かせてくれた一冊です。

はせがわくんきらいや Book はせがわくんきらいや

著者:長谷川 集平
販売元:ブッキング
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2011年10月21日、オンライン書店ビーケーワンの今週のオススメ書評に選ばれました。

書籍タイトル:はせがわくんきらいや
書評タイトル:障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性
URL:http://www.bk1.jp/review/494819

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2011年10月10日 (月)

だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。

  本書は「ヒルベルって、ほんとうに悪い子だよ。」というホーム(施設)の子ども達のことばで始まり、「あの子は、その後どうなったのかしら」とヒルベルを回想するマイヤー先生のことばで終わる物語。決して、ハッピーエンドではありません。
 主人公のヒルベルというのはあだ名で、本当の名まえはカルロットー。ドイツ語でヒルンは脳とか知能を、ヴィルベルは渦とか混乱を意味します。あだ名の通り、ヒルベルは脳に障がいを抱えていました。出産の時の外傷のために、原因不明の頭痛や発作を起こし、ことばもうまく話せません。父親は不明で、母親にも見捨てられて、町はずれにある施設に収容されている10歳の少年。
 施設から脱走したり、施設の管理人を困らせたり…、夜は裸のまま洋だんすの中に入って出て来なかったり…。手に負えないので、施設の中で「処置なし」とされています。そんなヒルベルをあたたかく見守ってくれる保母のマイヤー先生や親切なドクター、ヒルベルのために心理テストを施してくれる心理学者もいますが、ヒルベルはあくまでもヒルベルのまま変わりません。

 私は何度もこの物語を読みました。読むたびに作者であるヘルトリングの真摯な思いが心に迫ってきます。主人公のヒルベルも、物語も決してハッピーではないのに、なぜ、くり返し読むのか? それは、読み重ねるたびに、ヒルベルのような子どもの存在を知ってほしいというヘルトリングの強い願いが感じられるからです。また、その願いは、知的な障がいを抱えた娘の母親である私自身の願いとも重なり、私の切なる心の叫びを代弁してくれるかのように感じられるからかもしれません。

 ヒルベルの仕出かした特異な行動も、美しい声で讃美歌を歌う様子も、羊をライオンと信じて疑わず、羊の群れで一夜を明かすあり様も、ヘルトリングは淡々と語ります。ヒルベルの病名や障害名については一切語っていませんが、ヒルベルという子の長所も短所も鮮やかに浮き彫りにされています。また、ヒルベルをめぐる人々の反応もヒルベルの表情も目に浮かぶようです。
 社会から切り捨てられたヒルベルのような存在を知らないまま大人になっていく子どもたちがほとんどです。ヘルトリングは子ども達を信頼して、どうか、ヒルベルのような子どもを知ってほしいと願っています。物語の行間に、読者となるであろう子どもたちへの信頼が感じられます。それと同時に、ヒルベルという子に対する不動の信頼が感じられました。ヒルベルには、ヒルベルなりの知恵があり、ヒルベルなりにしっかり生きているのだと。ヒルベルへの同情や憐みは微塵も感じられません。<だいじなのは、ヒルベルのような、病院や施設でくらさなくちゃならない病気の子どものことを、きみたちが知るということなんだよ。>というヘルトリングの声が心の芯まで響く物語です。
 原作は1973年に刊行されていますが、少しも古びない物語です。翻訳者である上田真而子氏の美しくリズミカルな日本語訳も見逃せません。文庫版のしおり『「ヒルベルという子がいた」を読んで感じたこと』という河合準雄氏の16ページに及ぶ感想も圧巻です。本書の物語のより深い理解を促してくれます。

ヒルベルという子がいた (偕成社文庫) Book ヒルベルという子がいた (偕成社文庫)

著者:ペーター ヘルトリング
販売元:偕成社
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2011年10月 9日 (日)

『わたしたちのトビアス』(偕成社)~ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本

 スベドベリ―家に五番目に生まれた男の子トビアスは、ダウン症という障がいを抱えていました。ダウン症は染色体の数が通常よりひとつ多いことにより起こります。両親はトビアスがダウン症であることをを子どもたちに語り、トビアスのような子どもたちのための特別な施設にトビアスをあずけることを相談しました。すると、子どもたちは、大反対。
 弟であるトビアスの障がいを知らされたきょうだいたちは、「トビアスに手がかかるなら、わたしたちみんなで、てつだうのがあたりまえでしょう」と言い、それぞれが障がいについて考えるようになりました。そして、「ふつうでない弟がいてよかった」と思います。なぜなら、「ふつうでないとはどういうことかが、わかるようになるからです。」と。
 この絵本はスウェーデンという社会福祉の進んだ国で作られました。ノーマライゼーション、つまり、障がいを抱えた人もそうでない人も社会の中で対等に生きていくのが当たり前という考え方が1960年代頃から国家の政策の中に導入されているからでしょうか。トビアスのきょうだい達は、弟であるトビアスの障がいを当然のことのように前向きに受け止めています。
 もし、あなたの家に生まれた赤ちゃんがダウン症という障がいを抱えていたら、どのようにその事実を受け止めるでしょうか? 自分や家族の障がいの受容は、私たち人間にとって永遠のテーマかもしれません。日本では、ダウン症という障がいがあることすら知らない人も少なくないでしょう。
 「みんな、いっしょにくらさないから、おたがいに、わかりあったり、すきになったりできないんだわ。」
 きょうだい達のことばに深く共感します。小さい頃から、障がいを抱えた子ども達とそうでない子どもたちがいっしょに暮らし、遊び、学び合うことができれば、その後の人生で障がいを抱えた人に出会った時に自然と理解を示すことができるのではないでしょうか。
 本書の絵はトビアスのきょうだい達が、そして、文章はお母さんが書きました。トビアスの障がいを前向きにとらえた明るく愛に満ちた絵本です。続編に『わたしたちのトビアス学校へ行く』、『わたしたちのトビアス大きくなる』があり、トビアスのその後の成長が語られています。続編も含めて、ダウン症という障がいに限らず、障がい児・者と共に生きていくことについて、新たな視点が与えられる絵本です。

わたしたちのトビアス Book わたしたちのトビアス

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本) Book わたしたちのトビアス学校へいく (小学1年から読みきかせたい本)

著者:ボー スベドベリ,トビアスの兄姉たち
販売元:偕成社
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わたしたちのトビアス大きくなる Book わたしたちのトビアス大きくなる

著者:ヨルゲン・スベドベリ
販売元:偕成社
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2011年9月18日 (日)

絵本『わたし いややねん』@西本クリニック緑(横浜市緑区長津田町)

  現在、児童書の中から、意図的に障害をテーマとした作品を選んで読んでいます。

 国際連合が指定した国際障害者年である1981年の前後に、障害をテーマとした児童書が数多く出版されましたが、既に絶版となっていたり、図書館の書庫に納められている作品が多いことに気づかされました。

 実社会でも、障害、特に知的な障害への関心が薄いという現実があります。そんな現実に悲しみを覚え、障害をテーマとした児童書の良書に出会ったら、レビューを書くことを心がけています。

 ほのぼの文庫にアップしたレビューはこちらです。

 2011年9月13日、車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける絵本として(吉村敬子著・松下香住絵)『わたし いややねん』(偕成社)を紹介しましたら、医療法人 社団研幸会の理事長である西本研一医師が、早速、絵本を購入してくださり、西本クリニック緑の診療室に置いて下さいました。

Photo

 書いたレビューに反応をいただけると、本当にうれしいものです。

 西本医師は、スピーディかつ良質な医療の提供をモットーとして地域に根差した医療に取り組んでいます。クリニックを訪れた患者さん方の目に触れ、手に取って読んでいただけることを願っています。西本先生、ありがとうございました。

 医療法人 社団研幸会の公式ホームページは、http://www.nishimoto.or.jp/ です。

追記 西本クリニック緑では、月に一度、クリニック内のけんこう道場で和みのヨーガが開催されています。2011年3月26日に、震災チャリティー 『和みヨーガ』が開催された時には、私もインストラクターとして参加させていただきました。こちらです。

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2011年9月16日 (金)

「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか

からだが よわくても、ちえが おくれていても、
どんな 子どもでも、みんな おなじ人間。
うつくしい 心をもった人間や。
そして、ぼくの
ともだちや。
だから、ぼく
わるくちをいう ともだちを、
「かわいそうやなあ。」と おもっているんや。

みんなみんなぼくのともだち Book みんなみんなぼくのともだち

著者:福井 義人
販売元:偕成社
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 深い慈しみに満ちたこの詞の作者は福井義人君。小学校三年生の時に書きました。義人君は、知能に重い障害を持つ子ども達の施設「止揚学園」で生まれ、学園の子ども達と共に育ちました。学園の創立者である福井達雨氏の長男です。
 1980年に出版された本書は、精神年齢推定六か月くらいの園児たちの絵と義人君が小学校三年生のときに書いた日記を組み合わせて作られました。絵本を開くと、学園の子ども達の素朴で力強いイラストにほっとします。そして、義人君の目を通して見た学園の子ども達の精一杯の生きざまに心打たれます。
 本書の背景には厳しい障害者差別があります。周囲の大人たちが「アホと遊ぶとアホになる」「悪いことをしたり、勉強ができなかったら止揚学園に入れるぞ」と教えたり、おどしたりしていた時代です。義人君が、算数で5点をとったとき、学校の友達から「おまえは止揚学園で生まれたからアホや、赤ちゃんのオミソ(脳みそ)や」とからかわれます。小学校で友達が遊んでくれず、一人ぼっちになった義人君はとうとう登校拒否をするようになりました。
 そんな理不尽な偏見に対して、義人君は「あたまはよわいけど、やさしい心をもっている子どもたちやで」と心の底から訴えています。義人君は決して、障害児を美化することなく、ひとりひとりの命の輝きを真っ直ぐに捉えています。傷つきながら育った義人君の深い洞察力に頭が下がります。
 あとがきの「義人の悲しみとは…」で父親である福井達雨氏が、「…その心を育ててくれたのは、止揚学園の重い知恵おくれの子どもであったのだ」と述べています。学校の先生方に、ぜひ、読んでいただきたい。健常な人間の持つ傲慢さに気づかされ、教育の原点に立ち返ることができるのではないでしょうか。日本の社会は知的な障害児・者への関心が薄く、未だに、その理解が進んでいません。社会から隔離されなくては生きていけない重い知恵おくれの子ども達の存在を忘れてはならないと思います。ぜひ、ご家庭で、お子さんと一緒に読んでいただきたい。
 義人君のように「みんなみんなぼくのともだち」と思えるような学校や地域こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか。大胆な絵と洞察力に満ちたことばと、本書には時の流れを経ても古びない魅力があります。本書が読者に愛され、長く読み継がれていくことを願ってやみません。止揚学園の子ども達による『ボスがきた』、『みなみの島へいったんや』とあわせて、お薦めします。

(以上、ほのぼの文庫管理人まざあぐうすが、オンライン書店ビーケーワンに投稿した書評です。)

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2011年9月13日 (火)

車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい

わたしいややねん Book わたしいややねん

著者:吉村 敬子
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  セピア色やモノクロの車いすが、折りたたまれたり、倒れたり、風呂敷に包まれて見えなくなったり、画面いっぱいに大きくなったり…、絵本の表紙から裏表紙まで描かれているのは車いすだけ。描いたのは、友人として長年著者である吉村敬子さんの車いすを押し続けた画家松下香住さん。各ページには著者の思いが関西弁で一文ずつ添えられている。「わたし でかけるのん いややねん」に始まり、「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」で終わる。

 なぜ、人は車いすに乗っている自分をじろじろ見るのだろう?
 なぜ、障害を抱えた自分が強くならなくてはならないのだろう?
 違うのは車いすを使わなくてはならないということだけなのに…。

 著者が幼いころから感じてきたであろう心の叫びが痛いほど胸に響く。手足に障がいを抱え、車いすで生活を続けている著者が感じている理不尽な思いや悔しい気持ちを無言の車いすが代弁している。

 1980年に出版されて話題になった本書を30年経た今、図書館で借りた。日本の社会は、未だに障がい児・者にとって多くの問題を抱えている。著者の思いは悲しいかな、今も変わらないだろう。図書館で借りた絵本に「書庫納」というシールが貼られていた。絶版になっていないことだけが救いだ。本書の出版の一年前の1979年に偕成社から「ハンディを負った子を理解するための本」の一冊として『車いすのレイチェル』が出版されている。レイチェルが生き生きと生活する様子が描かれており、イギリスと日本の社会の在り方の違いが浮き彫りにされていたが、今は絶版で手に入らない。あまりにまっすぐに障がいを語り、描き過ぎていたからだろうか。本書が、今も読み継がれているのとは好対照だ。

 「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」
 最後の一文ががっつりとと胸に迫る。障がい児・者は、障がいを抱え不自由を感じながら精一杯生きている。そして、さらに追い打ちをかけるように「強くなること」を要社会から求されているのだ。もし、自分が「強くなれ」と社会から要求され続けたら、どのように感じるだろう。障がいを抱えた人に「強くなれ」と要求する社会は間違っている。障がいを抱えて生まれてきても、普通に生きていける社会の実現を願わずにはいられない。車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい。

(以上、ほのぼの文庫の管理人まざあぐうすが、2011年9月12日、オンライン書店ビーケーワンに投稿した書評です。)

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2011年9月 8日 (木)

絵本『車いすのレイチェル』~障害児・者をテーマとした児童文学作品の課題の提示

  レイチェルは足が不自由な女の子。
 車いすを使って、みんなと同じ小学校に通っています。スクールバスにいっしょに乗ることができないので、お母さんが車で送り迎えをしていますが、授業時間も、そうじの時間もみんなと同じように過ごします。モルモットにえさをやる係もします。ときどき、友だちに車いすを押してもらうこともありますが、スロープはレイチェルの車いすも、みんなと同じように通っていきます。表紙にはレイチェルが車いすにすわって、手を上げている姿が生き生きと描かれています。授業でも積極的に発言している様子が伺われます。
 家庭でも家族といっしょに同じように過ごし、旅行もします。ガールスカウトの活動にも加わり、水泳や乗馬も楽しみます。レイチェルは、足に障害を抱えていても普通の子ども達と同じように、将来への夢と希望を持っています。レイチェルとみんなの違いは車いすに乗っている、ただ、それだけ。
 作者のファンショーも10歳の時から車いすを使っています。本書は「障害児も普通児と同じように、活動的な人生がおくれる社会になってほしいと願ってかかれた」絵本です。挿絵を描いたチャールトンは、この本の絵をかくために、学校や家庭をたずねて多くの身障児と話し合ったそうです。絵をよく見ると、そうじの時間に、みんなが机やイスを運んでいる時、車いすに座って、流しで食器を洗っているレイチェルの姿が描かれています。また、プールでは、両肩に浮き具をつけて真剣に泳ぐレイチェルとそれを見守る白衣の専門家の姿が描かれています。遊びではなく、それがリハビリテ―ション(機能訓練)であることが分かります。チャールトンの絵はレイチェルの努力を語り、本文の背後にある身障児の世界に読者を誘います。
 日本では邑田晶子氏の訳により、1979年に出版されました。同じ時期の日本で1980年に出版された絵本『わたし いややねん』(吉村敬子・文・松下香住・絵・偕成社刊)では、車いすに乗ることへの恥じらいや深い悲しみ、そして、社会の不条理が語られており、イギリスと日本の社会の在り方の違いが浮き彫りにされます。
日本の社会は、未だに障害児・者にとって多くの問題を抱えています。「ハンディを負った子を理解するための本」の一冊であるこの絵本を多くの子どもたちに読んでほしい、そして、レイチェルのような子どもの存在とその豊かな生き方を知ってほしいと思います。しかし、本書は現在絶版です。あまりにまっすぐに、素朴に障害を語り、描き過ぎているのでしょうか。『わたし いややねん』(吉村敬子・文・松下香住・絵)が、今も読み継がれているのとは好対照です。子どもたちだけでなく多くの読者に長く読み継がれていくためには、障害児・者をどのように語り、描いたらよいのか?今後の障害児・者をテーマとした児童文学作品の課題が提示されているように思えます。

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2011年8月29日 (月)

知能に重い障害を持つ子どもが描いた画期的な絵本

 この絵本の舞台は、知能に重い障害を持つ子ども達の施設「止揚学園」。
 昭和37年(1962年)、多くの人の協力を得て、福井達雨氏により設立されました。共同体制を持つ施設で、障害児差別に対する抵抗運動、教育運動を起こすなど、真摯な活動を続けています。
 
 ある日、止揚学園にコリ―の子犬がもらわれて来ました。ボスと名付け、子ども達はうれしくてたまりませんが、ボスは元気がなく、ごはんも食べないし、声も出しません。主人公のいっちゃんは、小さい時に、両親と離れて、この止揚学園にきたので、ボスがさびしくてごはんを食べない気持ちがよく分かります。
 いっちゃんや学園の子ども達とボスのほのぼのとしたふれあいが描かれています。ところが、皆にだいじに育てられたボスが突然病気で亡くなります。学園の子ども達は、その死をどう受け止めていくのでしょうか。

 燃えるような明るい色、心をえぐるような激しい色。
 児童指導員の三好保先生の指導により、学園の子どものひとりである竹内雅輝君が描きました。知能に重い障害を持つ子どもが描いた画期的な絵本です。明るく強烈な色彩で描かれた絵に、アール・ブリュット(生の芸術)の輝きを感じました。正式な美術教育を受けていないがゆえに、創造性の源泉からほとばしる自由な表現ができるのでしょうか。絵本を開くと、ことばよりも強く、絵が心に迫って来ます。絵本には、幼い頃から親元を離れて暮らさなくてはならなかった子ども達の深い喜びや愛、悲しみややりきれなさが漲っています。

 1980年、その年度に出版界に新風を吹き込み、書店の売り場活性化に貢献した出版物と発行者を顕彰する書店新風賞を受賞しています。絵本の表紙や見返しに印刷してある和紙の模様の元は学園の子どもたちが、木の実や草花からしぼり取った染料で作った和紙です。本編のみならず、表紙や見返し、そして、止揚学園の園長である福井達雨氏のあとがき「怖い顔がやさしい顔にかわった」まで、すべてに深い感動を覚えました。

 社会から隔離されなくては生きていけない子ども達の存在を忘れてはならないと思います。この子らが私たちと共に生きていける社会こそが、本当の意味で幸せな社会なのではないでしょうか。この子らが置かれている環境に思いを馳せてみませんか。多くの読者の心に感動を与え、問題意識を喚起する絵本として、この絵本が長く愛されることを願ってやみません。止揚学園の子ども達による絵本『みんなみんなぼくのともだち』『みなみの島へいったんや』とあわせて、お薦めします。

(2011年8月28日オンライン書店ビーケーワンに、ほのぼの文庫の管理人まざあぐうすが寄稿しました。)

ボスがきた Book ボスがきた

著者:まじま かつみ
販売元:偕成社
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2010年12月30日 (木)

盲導犬への深い愛と理解によって生み出されたリタイア犬ポリーの物語

リタイア犬ポリーの明日 (いのちいきいきシリーズ) Book リタイア犬ポリーの明日 (いのちいきいきシリーズ)

著者:日野 多香子
販売元:佼成出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この本は、リタイア犬であるラブラドール・レトリバー“ポリー”の物語。著書『友情の二人五脚ー盲導犬の育成にとりくんだ塩屋賢一の情熱』や『ありがとう盲導犬リチャード』などで盲導犬への深い理解を示す児童文学作家日野多香子さんの新作物語です。

 リタイア犬とは、盲導犬の引退後の呼び名。ラブラドール・レトリーバーのポリーはリタイア犬となり、庄司家での生活を始めます。あたたかく迎えられたポリーですが、ボールを投げても拾わない、かけっこをしても走ろうとしない。犬を飼うことを楽しみにしていた小学校三年生の裕之は、そんなポリーの姿に戸惑いを感じますが…。
 ポリーの盲導犬としての習性を理解していく裕之、リタイア犬の姿に勇気づけられるすくすくスクールの子ども達、そして、車いすのおじさん・中谷さん、小学校の総合学習の時間に盲導犬のお話をする庄司家のお母さん…盲導犬としての役割を終えた後も、ポリーは家庭や地域で大活躍。

 挿絵は、日本児童美術家連盟会員で、『がたたんたん』(ひさかたチャイルド)で絵本にっぽん賞受賞した福田岩緒さん。福田岩緒さんが描くポリーの表情がいきいきとしていて、かわいい。ポリーの息づかいまで感じられるようです。

 私は、盲導犬をたまに見かけるだけで、触れたことも声をかけたこともありませんでした。でも、今度見かけたら、心の中で「お疲れ様」と声をかけてあげようと思います。ポリーを通して、盲導犬に深い親しみを感じました。ポリーに出会って元気になっていく車いすのおじさん・中谷さんの姿もすてきです。私達人間も犬も、リタイアした後の人生があるんだということを教えられました。この本は、明るく前向きな気持ちに満ちています。

 主人に対する「信頼」と「愛」の心で、せいいっぱい働き、自分の仕事に誇りと使命感を抱いている盲導犬の姿が、ポリーを通して感じられます。リタイア犬の様子がよく分かりました。盲導犬への深い愛と理解によって生み出された物語であることを感じます。この本を読んで、多くの子ども達に「目が不自由な人の目、心の友」として活躍している盲導犬と盲導犬を引退したリタイア犬のことを知ってほしいと思います。著者の『幸せをはこぶ使者―盲導犬からリタイア犬へ』『今日からは、あなたの盲導犬』もお薦めします。最後に、この物語のポリーへ、いっぱい働いたのだから、庄司家の皆さんとゆったりくつろいでね。

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